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宮崎県都城市大岩田上村遺跡で縄文晩奔馬墨書土器(長さん)

今回は、九州宮崎県都城市で縄文時代晩期成立
とされる土器に、漢字で奉馬と書かれたように
見える墨書遺物があるとの旨の紹介である。

弥生時代の成立だろうが、都城市で漢字の奉が、
相当早く成立していた事を示している

とみられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
3336_1_大岩田上村遺跡.pdf
 発掘報告書の表題は以下の通りである。
宮崎県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第77集
大岩田上村遺跡、2003年、
宮崎県埋蔵文化財センター。
 遺跡の場所は発掘報告書末尾の抄録によると、
宮崎県都城市大岩田町6809番地。ここで話
題にする遺物が発掘されたのは、同じく抄録に
よると、西暦2000年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は発掘報告書の第56ページ
付近の記載によると、この土器自体が、中岳Ⅱ
土器群に属するとみられ、縄文時代後期後半か
ら、晩期前半ではないかとの旨が、記載されて
いるように読み取れる。なお、遺物番号の35
番との記載は36番の誤りであると仮定すると、
そのように解釈できる。
 遺物の写真は発掘報告書の、写真図版8の、
下から2段目右にあり、”C区出土土器”と
付記され、遺物番号第36番との旨、ナンバリ
ングされている。私には棺おけの半分のように
見える。

大岩田上村奔馬.gif

 上図のように、写真の左下の方に、漢字で馬
に見える、かなり黒い模様が有り、その上に、
擦れているが、馬よりかなり大きく、奉と書か
れていると言われれば、そのようにも見える、
薄い煤のような模様が有る。奔である可能性は
少ないと見られる。
 宮崎県の縄文時代後期後半に成立していると
すれば、漢字の伝来が定説より極端に早くなる
が、土器が特殊で都城市の南東でしか出土しな
いとの事のようで、成立年代の根拠があいまい
である。

弥生時代の初めの成立であり、渡来人が飼い馬
が他界したので、何かを添えて埋葬した馬用の、
何らかの物品入れの類

ようにも見える。以前本ブログで宮崎県都城市
で、古墳時代成立とみられている「奉山龍馬」
墨書土器を紹介しているが。町場により近いが、
大岩田上村遺跡は、「奉山龍馬」墨書土器の
都城市豊満上村遺跡と、極端に離れてはいない、
同じ鰐塚山系の方角の遺跡という事である。従っ
て都城市の盆地地帯で漢王朝からの渡来人が、
古くから馬を飼っていて、鉱山開発もしていた
が、愛馬がたまたま死んでしまったので、その
ときに弔ったというストーリーを立てても、極
端な無理は無いのではないかと、私は疑う。
(2022/05/13)

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