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宮城県登米市唐木崎遺跡で縄文後期奔土墨書土器(長さん)

今回は、宮城県登米市迫町の唐木崎遺跡
で、前世紀に出土した縄文時代の土器片
とされる出土遺物に、漢字で「奉国土」
と書いてあるような遺物があるという、
紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
10071_1_寂光寺跡ほか.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
宮城県文化財調査報告書第135集
寂光寺跡ほか、1990年、
宮城県教育委員会。
 西暦1989年に、調査結果をまとめた
16の遺跡の発掘記録が、前記の報告書に
載っており、その中に、今回発掘された
遺物が出土した、唐木崎貝塚遺跡も載って
いる。岩手県に近く、かなり内陸である。
 遺跡の場所は発掘報告書の調査に至る
経過第3ページ付近の記載によると、
宮城県登米市(登米郡:当時)迫町新田字
彦道。遺物が出土したのは、同じく
発掘報告書の第5ページによると西暦
1988年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は発掘報告書の第235
ページによると、第2トレンチの第3層で
出土したが、この遺跡での土器遺物片は、
縄文時代中期から後期であると推定されて
いるようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版:
唐木崎貝塚遺跡の第2トレンチの2段目右
から2番目に在り、遺物番号で唐木崎遺跡
スケッチ第6図の第9番とナンバリングさ
れている。土器の底の部分を、外側から見
たように私には見える物品の写真である。

唐木崎奔土.gif

上図のように、煤で円弧模様のようなもの
に乗って、右側にやや反時計回りに傾いて
「奉」、下に「ニ」か「土」のような模様
が在り、更に左側に、新字の「国」のよう
な模様も有る。クニ構えの中の

玉の点は、大きすぎるのでヨゴレか。

今のところ本ブログでは第3字目に見える、
二か土のような黒い模様も、単にヨゴレで
あると解釈し、”奉国”と書かれていると
解釈しておく。
 何れにしても第1字目に見える模様は、
奉のようであり、土も無しと考えるならば、
縄文時代に摩訶大大将棋/摩訶大将棋が
存在した事を、この遺物は示していないと
考える。が、それ以前に、

縄文時代中期等に文字が成立していたとし
たら驚き

だ。がもし中期や後期では無くて晩期の土
器であり、東北地方な為、貝塚に関係なく、
西日本では弥生時代の西暦1世紀頃に成立
したものたとすれば、実質弥生時代の成立
であり、

鉱脈を探す漢王朝人のもので、国は後漢の
事を指す

のかもしれない。金鉱が岩手県で見つかっ
たので貴金属類を、宮城県の北のこの遺跡
付近で、たまたまこの器に入れたのであろ
うか。なお、特に住居跡が発見されている
と、記載はされていないようである。何れ
にしても、

税を納める側の人間が、縄文土器を使って
いるのか、弥生土器を使っているのかに
関して、どこに居るのかは謎だが、とにか
く支配者階級層が、気を使っていないのは
明らか

だと、この遺物を見ても私は感じる。
(2022/05/06)

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