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高知県南国市土佐国衙跡遺跡で古代奔馬墨書土器(長さん)

今回は高知県南国市の土佐国衙跡付近で、兵舎
とみられる9世紀前半の建屋から、漢字で奉馬
と書かれていると疑われる、甕型土器が出土し
ている、可能性が有るとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
9663_1_土佐国衙跡発掘調査報告書第9集.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
高知県埋蔵文化財調査報告書第26集土佐国衙跡発掘調査報告書
第9集、西暦1989年、高知県教育委員会。
発掘報告書第5ページの調査の概要によると、
遺跡の場所は、高知県南国市比江字金屋502~
503番地。遺物が出土したのは第1ページ付
近の”調査に至る経過”によると西暦1988
年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第34ページ
付近によると、第3性格不明遺構で出土したが、
付近の住居の形態等から、9世紀前半の成立で
はないかとの事である。なお同じく発掘報告書、
第35ページによると、この性格不明遺構は、
兵舎ではないかとされ、馬は居たと自明に考え
られるのではないかと、本ブログ管理人は推理
している。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版36に在り、
下のカラム”SX-3出土遺物”で、遺物番号
で、通し番号の第89番とナンバリングされて
いる。底の丸い甕の破片ではないかとされる出
土土器片である。

土佐国衙奔馬.gif

 上図のように、底の方に縦に漢字で、奉馬で
あると見れば、そのようにも見える、煮炊き煤
状の黒い模様がある。奔馬ではなく奉馬であり、
献上された馬が、兵舎で飼われていて、石積み
の上に甕が置かれていて、馬の水飲み具になっ
ているようなイメージが私には有る。大局将棋
には、よって無関係とみられる。
 平安時代前期だとみられるが、国衙の兵舎に
は献上された馬が飼われていた事を示しており、
馬は武具として大事にされていた事を、兵舎跡
からこの奉馬墨書土器が出土する事によって、
よく示されていると私見する。
 なお字が横ではなくて下なのは、甕を人間が
小脇に抱えて献上馬を曳いたときに、通行人に、
横から文字が見えるようにする為だと、私は解
釈する。献上馬自体に、当時は特権的性格が有っ
たのであろう。(2022/05/05)

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