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長野県佐久市上の城遺跡で9世紀後奔水墨書土器(長さん)

今回は、奉水と水を奉納するとの旨が、甕
の破片のような出土土器に書かれていると
いう趣旨の遺物出土の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
19392_1_上の城遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第238集
岩村田遺跡群上の城遺跡Ⅱ、2016.3、
長野県佐久市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の
場所は長野県佐久市岩村田字上の城。遺物
が出土したのは西暦1973年と、相当に
以前である。
 遺物の成立年代は、第34号住居跡ない
し、第36号住居跡の敷地内で出土したが、
第34号住居跡が9世紀後半成立との旨が、
発掘報告書の第50ページ付近に記載され
ている。今回は遺物の成立年代として、
9世紀後半と仮にしておく。第36号住居
跡は、それより少し遅れて10世紀ではな
いかという事である。
 遺物の写真が発掘報告書の、写真図版第
21:”グリット出土遺物(2)”の、
上から3段目の左から2番目に在って、
遺物番号として、グリット出土遺物の59
番との旨、ナンバリングされている。本文
中では、墨書土器であり水と書いてあると
見ていると取れる、墨書土器地点分布図が、
発掘報告書の第106ページ付近にある。

上の城奔水.gif

 上図のように、左の方に水と書いてある
ように見えるが、その右隣に大きさは、そ
れより少し縦に詰まった字で、奉と書いて
あるようにも見える。なお下部に、発掘担
当者によるとみられる、遺跡の名称の書き
込みが有る。冒頭で述べたように、発掘報
告書にもあるように墨書土器に違いなく、
「奉水」とかいてあるのであろう。恐らく、

官衙に湧き水を献上した

のではないだろうか。山から流れ出る水の
旨い場所として、古代から遺跡のあたりは
知られていたのであろう。なお、大局将棋
の水将は、奔水ではなくて副将に成るので、
将棋駒名に奔水という駒は、有りそうだが
元々無い。(2022/05/21)

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