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大阪府河南町東山遺跡で2C奔国墨書土器(長さん)

今回は、弥生時代後期後半2世紀成立の出土
土器に、奉国と書かれ、大陸の自国へ貢物を
送っていた渡来人が存在する事を示唆するよ
うな、大阪府の発掘物品の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
15548_1_東山遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
河南町文化財調査報告第2冊東山遺跡発掘調査報告書、
西暦1998年9月、河南町教育委員会。
 発掘報告書の本文と写真図版の間に差し込
まれた抄録によると、遺跡の場所は、大阪府
南河内郡河南町大字東山。遺物が出土したの
は、発掘報告書の第2ページの地図上の書き
込みによると、C調査区で問題の遺物は出土
したが西暦1994年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、C地区で唯一の竪穴
住居跡付近で出土したが、地層で中層付近か
ら出土し、弥生時代後期後半の2世紀と取れ
る旨が、発掘報告書の第47ページ付近に、
記載されている。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版26:
”94年度C調査区”の最下段に在り、中層
出土で、遺物番号がC地区の孤立竪穴住居の
第45番との旨、ナンバリングされている。
底の狭い甕のような形の土器のように見える。

東山遺跡奔王.gif

上図のように、中段中央やや左に漢字で”奉”、
その右隣の中段中央、わずかに左に、やや小
ぶりの”王”が書かれているように見える。

問題は、王が薄く四角形で囲まれているよう
に見える事で、古い漢字の国に見える事実

である。弥生時代の後期後半に、日本に国家
が有ったとは考えにくい。
 本ブログでは、従来より1世紀頃から渡来
人が大阪府の、少しの後の難波京の付近に
多数存在したと主張しており、その通りだと
すれば、

大陸本国に貢物を送るときの器

とも解釈出来る事になるだろう。
 漢字の国は書けても、当時の日本人には、
国の意味が曖昧だったと見られるから、

渡来人が、自国使用の単語を書いた

としか、思えないような内容である。よって
この遺物も、大阪府に漢王朝来の渡来人が、
弥生時代後期に、少なからず居た事という説
明と、余り大きな矛盾は無いように私には思
える。(2022/05/02)

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