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福岡県みやこ町カワラケ田遺跡で7C上将墨書土器(長さん)

今回は宝応将棋に有る、上将と書かれている
ように見える、福岡県発掘の飛鳥時代成立と
みられる墨書土器瓶の紹介である。

上将という官職が存在した

のであろう。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
59141_1_東九州自動車道関係埋蔵文化財調査報告10.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
東九州自動車道関係埋蔵文化財調査報告
呰見川ノ上遺跡・カワラケ田遺跡2次調査2(Ⅲ・Ⅴ・Ⅵ区)・
八ッ重遺跡2次調査、2013年、九州歴史資料館。
 遺物はこのうちカワラケ田遺跡2次調査で
発掘されたようである。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の場
所は福岡県京都郡みやこ町大字呰見。遺物が
出土したのは、西暦2009年~2010年
の間のようである。
 遺物の成立年代は、カワラケ田遺跡第2次
調査の第7・8号住居跡から出土したが発掘
報告書の第146ページ付近の記載によると、
7世紀前半前後の飛鳥時代の頃住居跡が成立
し、遺物もその頃のものとの旨が、読み取れ
るようである。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第44
の上から2段目の右側に在り、遺物番号第
109番との旨のナンバリングがある。正面
向きの写真(上の方)に、煤に埋もれて更に
濃い模様が有り、漢字で上将と書いてあるよ
うにも見える。

カワラケ田遺跡上将.gif

 上図のように、漢字のよう見える模様が右
下にあり、縦に上将と書いてあるようだが、
将の字の右側の斜め線が余分では有る。なお、

牛僧儒の宝応将棋の成立は9世紀

である。
 瓶の容器の所有者の識別のために書いたよ
うに見え、飛鳥時代に中国の官職名を参考に、
上将という職階が我が国にも存在したとしか
説明出来ないであろう。職階の一般名称なの
で、日本に7世紀に、インド・チャトランガ
成立直後に宝応将棋が存在していたという証
拠には、なら無いのではないかと私見する。
(2022/05/22)

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