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島根県松江市池ノ奥2号墳で古墳末山奔墨書土器(長さん)

今回は、古墳期末から飛鳥時代にかけて
の山奉墨書土器の話題であるが、遺物に
釉薬跡があり、その2文字が四角で囲まれ
ているので、古墳期早期の貢物とは内容
が変化している事を示す遺物の紹介である。
豪族に納める貴重品を入れるのではなくて、

現在と同じで、容器自体も陶器風で渋い
外見となり、神社等に周囲の雰囲気とマッ
チした形でカッコ付けでおく、湧き水入れ
容器用等に、用途が変わった

のであろう。狛犬等の像の横に置いたのか
もしれない。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
2299_6_鈩田遺跡・朝酌荒神谷遺跡・イガラビ遺跡・
イガラビ古墳群・池ノ.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
島根県松江市松江東工業団地内発掘調査報告書
鈩田遺跡・朝酌荒神谷遺跡・イガラビ遺跡・
イガラビ古墳群・池ノ奥古墳群・池ノ奥C・同
D遺跡、1990年3月、松江市・松江市教育委員会。
 遺物は、このうち池ノ奥古墳群、第2号
墳で出土したとの事である。
 発掘報告書第1本文pdfの冒頭第2ペー
ジの例言内の表によると、遺跡の場所は、
島根県松江市大井町1286。遺物が出土
したのは、西暦1987年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第5本文
(末部)pdfの第381ページ付近の表
によると、第2号墳自体が、遺物の形態か
ら、7世紀初頭成立とみられているようで
ある。
 遺物の写真はさいしょの方で示した、
第6写真図版pdfの第411ページの写
真:”池ノ奥2号墳出土遺物”の右上上段
に有り遺物番号J-43番とナンバリング
されている。土器甕の破片とされているも
のである。

池ノ奥山奔.gif

 上図のように、写真の中央、土器の首の
凹みの部分に、縦長の長方形に囲まれて、
山奉と、漢字で書いてあるような煤模様が
ある。泰山ではなくて山奉であろう。
 神社の看板に見えるため、私見だが、
飛鳥時代早期の神社の社に、御清め用の水
甕が置いてあって、その横に狛犬等が置か
れている姿が想像さる。この容器自体が、
地方の有力者に貢物をするための容器とは、
限らないように見える。
 実際に使用されたころには釉薬を塗り、
渋い陶器の雰囲気を出したような大型容器
のだったようであり、今の神社にかなり近
い風情が、周りにあったのではないかと、
私には想像される。
 「奉」が納税ではなくて、神社用品とし
てもイメージされ出したのは、古墳時代末
から飛鳥時代にかけての頃からだった事を、
ひょっとすると、この遺品は示しているの
かもしれない。(2022/05/15)

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