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香川県高松市北山浦遺跡で水奔墨書土器飾り(長さん)

今回は、弥生時代中期成立とされる四国香川県
高松市の遺跡から発掘された小型土器の、飾り
のような五角形の突起部に、漢字で「水奉」と
書かれているのではないかと疑われる遺物出土
の話題である。墨書部分は弥生後期に下るが、

祭祀用の清水入れではないかと疑われる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
19581_1_木太鬼無線街路事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書第2冊北山浦.pdf
無線街というのは地区の名称で、道路工事に伴
う発掘調査のようである。
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
高松市埋蔵文化財調査報告第137集北山浦遺跡、
2012年、高松市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の場所
は、香川県高松市西春日町。遺物が出土したの
は、西暦2008年前後のようである。
 遺物の成立年代は、遺跡自体が弥生時代中期
中頃とされていて、炭素14年代分析によれば、
紀元前350年~200年程度の成立のようで
ある。遺物は第5溝状遺構から出土している。
 遺物の写真は発掘報告書の第38写真図版の
最下段に在り、遺物番号第877番との旨の
ナンバリングがある。小型壷の土器との説明が、
発掘報告書から読み取れるようである。

無線街路水奔.gif

 上図のように、写真の右の方に将棋駒型の
破片を張り合わせたような突起物が在り、よく
見ると、右に偏っているが、

漢字で水奉と書いてある

ようにも読める。
 弥生時代中期中ばの遺物とすれば、漢字の水
等の伝来が飛び抜けて早かった事を意味するが、

第5溝状遺構付近から、散漫に出土しただけで
あり、弥生土器のようであるとされるが、弥生
時代遺構に属しているかどうかはっきりしない

と疑われる。本ブログでは瀬戸内に沿って移住
した、初期の渡来漢王朝人による墨書と、今の
所しておく。神棚に納めるような水汲みの道具
が個人的に連想され、それを示す為の飾りであっ
て、将棋を意識していないとみられる。なお、
鎌倉時代成立な為、時代が全く違うが、同様の
五角形形態の物品が、神奈川県鎌倉市からも出
土している。元に戻すと。

少なくとも「水」という漢字は、相当早く伝来

し、瀬戸内沿岸で使われていたと、疑って良い
という事なのであろう。(2022/05/28)

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