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埼玉県熊谷市在家遺跡で奈良期山泰墨書小石(長さん)

今回は埼玉県の官衙跡遺跡の墨書円形小石
に、山奉と書いてあり、古代の赤城山・
榛名山信仰ではないかと疑われる遺物の紹
介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
19530_1_在家遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
埼玉県熊谷市在家遺跡調査会埋蔵文化財調査報告書
在家遺跡、2015年、埼玉県熊谷市在家遺跡調査会。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の
場所は埼玉県熊谷市別府五丁目185番地。
遺物が出土したのは、西暦2013年前後
の事のようである。なお、熊谷市別府は、
市街地から群馬県の太田市方面に、少し移
動した場所に在るようである。
 遺物の成立年代は、遺跡が官衙跡であり、
最盛期が8世紀半ばから後半の、奈良時代
後期である旨が、発掘報告書の第200ペー
ジ付近に記載されていて、遺物もその頃の
成立だろうと考えられているように、読み
取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の、写真図版第
53の左下に在り、遺物に第174図33
との旨、付記されている。丸い形に削った
小石/小礫の類であると説明されている。
経石のパターンかと、発掘報告書の報告者
は、考えているように読み取れる。釈文は
判読困難と見ているようである。

在家山泰.gif

 上図の右側の赤外線写真のように、左上
に比較的濃く山と書いてあり、その右下中
央に、神社で見かける書体のように個人的
には見える、「奉」の字が書いてあるよう
に私見する。熊谷市北方郊外から遠方に見
える群馬県の、

赤城山ないし榛名山を奉じた祭祀用

の物品なのではあるまいか。経文に山奉の
2文字が無いという証明は私には不能だが。
奈良県では仏教が隆盛した時代だが。民間
の地方人が、埼玉県熊谷市で経石を書くに
は、少し早い時代だった疑いも、奈良時代
となれば、全く無いとまでは言えないよう
に私には疑われるのだが、どうであろうか。
(2022/05/29)

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