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島根県吉賀町前立山遺跡で4C奔亜墨書土器(長さん)

今回は島根県吉賀町前立山遺跡で、古墳期早期
の杯状の出土土器に、漢字で奉亜と書いてある
ように、かなりはっきり見える、遺物が在ると
の紹介である。

奉の字にも右に、もう一本縦線があり奔のよう
だが頭の三本線は無い。

余分な線はヨゴレであり、奉王と解釈して良い
かと見られる。
 遺物の写真がweb上で公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
14283_3_中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書名は、以下の通りである。
中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書、
1980年3月、島根県教育委員会。
 遺跡が複数記載されているが、主体は、今回
紹介する、鹿足郡吉賀町(六日市町:当時)の
前立山遺跡になっている。
 遺跡の場所は前立山遺跡の概要が記載された、
本文第1pdfの、第5ページによると、島根
県鹿足郡吉賀町注連川字前立山。遺物が出土し
たのは、第2ページの調査経過によると、西暦
1978年から79年の間のようである。
 遺物の成立年代は、前立山遺跡の北側の竪穴
住居地帯で問題の遺物が出土したが、竪穴住居
地帯が弥生時代末ないし古墳時代初にかけて成
立とみられるとの旨が、第1本文pdfの第5
ページ付近に記載され、竪穴住居跡第13号で
発掘されたが、挿入図によると、竪穴住居跡第
13号は、遺構の切りあいから最新のようであ
り、古墳時代初の4世紀であろうとして、以下
紹介する。いわゆる邪馬台国の、卑弥呼の時代
であろう。
 遺物の写真は写真図版pdfである、冒頭紹
介した第3pdfの、(写真)図版第48の
左下に在り、遺物番号は特に付いていない。杯
のような形の土器に、私には見える。

前立山奔亜.gif

 写真の中央に縦に、

かなりはっきりと、漢字で奉亜と書いてある

ように見える。奉の字にもキ部分が右に縦線が
短く付いて井のようにも見える。亜の左縦棒は、
中央ラインから左に外れていて、

キの右の短い縦棒と、亜の左縦棒は、ヨゴレ

と見た方が良さそうだ。それにしても探せば、

「奉王」と、はっきり読める土器が有るもの

である。六日市町には古墳も在るとの事なので、
貢物を入れて王に差し出す器に、定型的に見え
るような遺物である。が土器に墨書が在るとい
う事から平安時代成立と、発掘報告書では解釈
していたと読み取れる箇所が在り、漢字である
はずがないとして、この遺物が出土した頃には
模様が、余り着目され無かったようである。

奉の字の成立は、日本の中国地方では弥生時代

である事を示す、証拠の一つと、ひょっとした
ら言えるのではないかと疑われる。(2022/05/18)

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