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富山県増山遺跡より戦国時代の龍馬記載木製品(長さん)

以下、富山県砺波市の増山遺跡の2016年
前後の発掘調査で、戦国時代頃成立と見られ
る龍馬という文字が、記載されているように
見える、木製品が発掘されたとの話題である。

中将棋が成立している時代なので、不自然感
は無い。

 情報はweb上に公開されている。
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、写真を掲載した発掘報
告書が登録されているからである。pdf
ファイル名は、以下の通りである。
71939_1_増山遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通り。
増山遺跡発掘調査報告、
富山県砺波市教育委員会・北陸電力株式会社・
株式会社上智、2018年3月。
 写真は前記発掘報告書の巻末部の
”写真図版20 出土遺物(4)”にあり、
上段右から2番目で、遺物番号が166番と
ナンバリングされている。

増山遺跡龍馬.gif

図のように、龍馬の馬は比較的濃いが、

龍の字の右側が無い

ように見える。
 成立年代は、表紙に戦国時代の集落の発掘
であるとの旨記載が有り、日本将棋が成立し
た頃であるから、

当然龍馬駒は中将棋に有るので、問題は無い。

 ただし、この遺物に関して、本当に龍馬と
墨書きが有るのかが問題だろう。同様な状況
の遺物について、過去本ブログでは何回か紹
介している。
 こうしたケースが、かなりの確率で偶然の
悪戯であって、

全く字など無いのに、有ると結論されると考
えて良い根拠を、本ブログの管理人はさいき
ん発見

した。
同じ奈良文化財研究所発掘報告書データベー
ス、全国遺跡報告総覧の以下のpdfファイ
ルに、次のような例が有る。
5833_1_稲積川口遺跡.pdf
 この遺跡には、かなりの量の縄文時代成立
の遺物の出土があり、以下の写真は、そうし
た遺物の一例である。

稲積川口耐熱.gif

上記写真は、図版17の遺物写真(6)の右
下隅にある。遺物番号76番とナンバリング
されている。縄文式土器の大きな破片である。
なお、遺跡の名前は富山県氷見市稲積地にあ
る、稲積川口遺跡という場所で西暦2008
年前後に発掘されたものとの事である。
 上記写真のように、”耐熱”という文字が、
大きく書いてあるように見えるが、

熱はかなりはっきりしているが、耐の字が、
ぼんやりしている。

そして、このような熟語は、縄文時代の土器
に書かれるとは考えられない。熱伝導度等を
工夫して、

加熱しても割れない器を作成するようになっ
たのは、少なくとも日本では近代から

なのは明らかであるからである。つまり、

2文字墨書で、内1文字がぼやけたという遺
物の墨書が、偶然の悪戯である事を示す好例

だと私は思う。今まで紹介した、特に成立年
の定説とは合致しない、薄い文字が書かれて
いるように見える遺物が、単なる偶然の悪戯
であっても、おかしくない証拠と、上記例は、
言えるのではないか。
 今回の冒頭の龍馬木製品は、存在しても、
おかしくは無いのだが。この遺物の文字が、
本当に人手によるものであるという証拠とし
ては弱いのだろう。
 同様に、以前紹介したうちで、”地方でも、
玄怪録の収録された北宋時代の『太平広記』
が読まれていた”という証拠の遺物といった
例に関してはその遺物を根拠に”北宋稀少書
は、室町時代には地方にも伝播したと考えて

100%間違いない”とは言わないように、
今後は注意したい

と私は思う。つまり、そうした遺物の存在は、
論の、わずかばかりの、仮説に対する補強材
料でしか無いと言う意味である。(2021/03/02)

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