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大阪四條畷市蔀屋北遺跡で古墳時代歩兵墨遺物(長さん)

以下、web上に公開された情報である。
 すなわち、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録済み発掘報告書に、

古墳時代成立と見られる”歩へい”と書か
れた木製品の写真が有る

という旨の紹介である。”い”の字が、
ヨゴレで覆われ等しており、

確定的では無い。

発掘報告書は、以下のpdfファイル名で
前記データベースに登録されている。
5215_8_蔀屋北遺跡Ⅰ.pdf
 なお、本文ファイルが別に有り、
5215_1_蔀屋北遺跡Ⅰ.pdfとなっていて、
この遺跡は”讃良藩条里遺跡”とも重なっ
ているとの事である。
 発掘報告書の表題は、以下の通り。
大阪府埋蔵文化財調査報告2009-3
蔀屋北遺跡Ⅰ、大阪府教育委員会、
2009年。
 なお発掘作業は2001年~2007年
の7年間、少しずつ行われたようである。
遺跡の場所は”大阪府四條畷市砂・蔀屋に
所在する蔀屋北遺跡”との旨ある。
 発掘報告書、図版編の5215_8_・・・の
図版298 出土遺物木製品(23)の
右下に、ぶら下げる形の長い長方形札の遺
物に、”歩へ(い)”の黒い模様が有るよ
うにも見える物品である。なお発掘報告書
に、本遺物に関して”墨書”有りとの旨の、
指摘は無い。遺物番号は675-7とある。

蔀屋北遺跡歩兵.gif

上記遺物の写真から判るように、歩へいの

 いの字の第1画目は全く残っていない。

 発掘状況のおおまかな説明が、”総括・
分析”に関する本文が記載されている、
pdfファイル、
5215_10_蔀屋北遺跡Ⅰ.pdf
の”古墳時代の木製品”の説明の中の、
143ページの”18.その他・不明品”
にある。その箇所に記載されている遺物の
類という事だろう。この物品、そのものに
ついてのコメントは、特に記載が見当ら無
い。発掘者は成立を、古墳時代と見ている
ように、報告書の構成から取れるだけであ
る。但し平安後期より、かなり前の成立の
ようである為、模様が本当に将棋の

歩兵駒から来ているとすれば、通説は当然
覆る。

 ただし遺物を見て判るように、兵の”へ”
が平仮名であると解釈出来る上に、
”い”がはっきりしない。よって今の所、
本ブログでは、

”歩”と書いてあるだけであり、”へ”と、
”い”の第2画目はヨゴレであって、そう
見えているだけ

だと判断したい。元々札に”歩”と書いて
ある理由については、残念ながら私には判
らない。”一番最後の部材”という意味で
”止”と書いたら、墨が流れたという解釈
でも、個人的には、余り矛盾を感じ無いが。
(2021/03/14)

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