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岐阜県大垣市荒尾南遺跡で五角王駒絵入土器(長さん)

今回は、弥生時代成立とされる土器の中に、
一文字だが王と墨書きされ、五角形の枠で
囲まれたように見える絵が、描かれている
という話題である。

枠は破片の貼り付け跡ないし偶然の産物で
あり弥生時代の将棋類の存在は示唆しない

とみられる。
 写真がweb上で公開され発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
1365_3_荒尾南遺跡A地区Ⅰ.pdf
発掘報告書の名称は以下の通り。
荒尾南遺跡A地区Ⅰ(第3分冊)、
2012年、岐阜県文化財保護センター。
 王が五角形の枠で囲われた遺物の写真は、
図版63出土遺物:土器(3)の左上にあ
る。遺物番号は65番である。2006年~
2008年の間頃に出土したようである。
 さてpdfファイルの、
1365_1_荒尾南遺跡A地区Ⅰ.pdf、
(第1分冊)の、46ページ”SZ002、
遺物出土状況”の所によると、この遺物は、
弥生時代中期成立との事である。1世紀前
半、イエス・キリスト誕生の頃だという事
だ。これだと、インドのチャトランガより
も前となり、チェスや将棋がもとであると
すれば、定説は大きく覆る。

荒尾南王.gif

 しかしながら、遺物を見てみると、枠に
見える部分の右側と下の部分の大部分は
破片の接合部であり、枠の他の部分もひび
割れのように見える。本ブログは、この遺
物に関しては、枠が

墨書やたぶん刻書では無いから、王の字以
外は、自然に出来た割れ

であると考える。ただし王の字は書いたも
のだろう。ちなみにこの発掘報告書の別の
所に、王の字が書いてある遺物が、少なく
とも別に、1個は紹介されているようだ。
 以下は、1620番とナンバリングされ、
前記”第3分冊”の”図版125出土遺物:
土器(65)の左下に載っている例である。

荒尾南王2.gif

この王も、上部にヘの字型の出っ張りがあ
るので、ちょっと見で将棋の駒に見えるか
もしれない。が、はっきりした枠が、良く
見ると無いとみられる例である。
 この遺跡が弥生時代の有力なものである
との旨が第1分冊の冒頭”序”にあり、王
と名乗る人物が居たとして、不思議は無い
と私は思う。だから複数の、王という字の
書いた土器が発掘され、ひび割れの形で、
五角形駒の絵に、たまたま見える遺物があっ
たという事で、説明が付くと考える。
 逆に言えば、墨書として五角形枠も書い
てあると明らかに判る、弥生時代の”王駒”
土器が仮に有ったとしたなら、それだけで
通説は相当に、不利になるという事である
と考えているのである。(2021/03/21)

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