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字体”国”は、観智院本類聚名義抄に無い(長さん)

本ブログでは以前述べたように、国語の
国の漢字の特定字体は、日本の鎌倉時代
が成立期で、玉/王1:1の大将棋が成
立した事を背景とする、日本の将棋史関
連の、国字であるとの事であった。
 しかしながら、前に紹介した、
杉本つとむ著”漢字百珍”八坂書房、
2001年によると、この口の中に玉の
字体の国の字は、鎌倉時代成立の、

観智院本類聚名義抄には無い

という事である。杉本つとむ氏は、漢字
の書体”国”について、

”第二次大戦後、個人の管見で決定され
た、勝手に作られた出生不明の記号”で
ある

との旨、前記成書の中で酷評されている
ように、同書は読み取れるようである。
よって現在皆が普通に使っている”国”
の字は、

将棋史を語るには、きっかけになり易く、
将棋史家にとってだけ、良い人間による、
鎌倉時代より後の作と見て良い

とされているように見える。
 さてそこで以下、本論に入る事にする。
杉本氏によると「”角川 新字源”
小川環樹他編者1968年に、”『字体
”国”の源は、口の中に王と書く異字体
でありかつ、俗字である元漢字に、更に
点を加えたものである』との意味内容が
書いてある」との事である。そこで実際
に、新字源の”国”の項目を見ると、確
かに、その旨のことが書いてあるのを、
私も確認している。
 本ブログでも、独立に以上の旨を予想
したが、国語学者の間では、それが正し
いとの何らかの確証が、学会では得られ
ているらしい。何れにしても

本ブログの新発見ではない

という事になるようである。王を口の中
に入れる漢字の、成立時期および発祥地
の特定は、杉本氏の前記著書には無い。
 王を口の中に入れる字体は、観智院本
の類聚名義抄にも載っているようだ。
 ”漢字百珍”には江戸時代の和算家、
中根元圭の異体字弁にもそれは載ってい
るとの紹介がある。しかし今度は、今我々
が使っている字体の”国”は載っていな
いとの旨紹介がある。二巻物色葉字類抄、
八木書店、2000の499ページの”
異字”リストには、両方無い。だから、
王を口の中に入れる字も日本では、平安
時代の間に盛んに使われる事は無かった
と、今の所考えざるを得ないだろう。
 蛇足だが、八木書店2000年版、
色葉字類抄二巻物に、

人の苗字(名字)で、一文字で國と書き、
”くに”と読むらしい例が載っている。

 何れにしても。
鎌倉時代に、シャンチーやチャンギの知
識が、識字層の間に流入する頃に、王を
口の中に入れる国の異字漢字も、日本で
は認知されるようになった。他方、
平安小将棋の伝来経緯は、その時点では
まだ記憶に残っており、院政期の(推定)
”玉・王論争”も公知だったので、将棋
の好きな”一点を加えた犯人”によって、
さほど経たないうちに、王を玉に替えた
”国”の字は成立した。
 ただし字体”国”と、王を口の中に入
れる字体は、

両方マイナー

であって、国の字に集中して異体字を指
摘しない程度の江戸時代のリストには、
玉入れの”国”は特段加えられないまま、
第2次大戦が終わった。
 そして、たまたま国語の国の字が将棋
史との間に関連有る事が知られる事無く
ごく稀に、そのような使用例があるのを、
当時の文部省お抱えの、教育漢字決定者
が史料・文献の中から見つけて、

マグレで教育漢字になった。

以上のように、本ブログでは今の所見る。
恐らくだが、それまで国は、将棋の桂馬
の桂の字の右側に、打点を付ける例が有
る程度の、王入れ口”くに”に対する低
頻度という程度のものだったのであろう。
 このように、将棋が平安時代末。国が
鎌倉時代の観智院本の類聚名義抄の少し
後に成立して、使用はなかずとばずと、
成立の下限(早い)を代表させ、成立を
とても忙しく、仮定したとしてみても、
国の字の成立は、日本への将棋の伝来よ
りは遅くなる。だから日本や伝来元国で
将棋の双玉ルールが知られていたので、

朝廷の権威を使って、例えば大江匡房が
双王ルールを強いようとすれば、大衆の
反感から、『誰とも知れ無い人物』によっ
ても、作り得たような漢字であった

と結論しても良い。以上のように、私に
は思えたのである。なお以上の仮説に従
うと、つまり八坂書房の漢字百珍にその
旨が記載された”反省すべき、国の字作
成の犯人”は、実は杉本つとむ氏と、根
底思想が良く似た鎌倉時代の人間の、疑
いが有るという意味になるとも、私は考
えている。(2021/03/28)

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