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仙台市沼向遺跡で将棋絵年号木板(長さん)

以下、近世西暦1770年成立の、年号の
入った出土木札だが、発掘担当者が、どう
やらの見落したと見られる、”将棋駒絵”
が描かれているらしいという指摘をする。
意匠上最初から、わざと輪郭を歪ませて書
いてあるのではないかと私には思われるが、

五角形駒で、”歩”と書かれた将棋駒が、
年号の背景に、薄く書かれている。

web上に公開されている、発掘報告書に
写真がある。報告書はいつものように、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に以下のpdfファイル
名で、登録されている。
10017_1_沼向遺跡第4次~34次調査.pdf
その”第18次西調査 写真図版-52”
の右上隅の、木の板がそれである。
遺物番号としててNo.18140SD
1893と記載されている。少なくとも
本ブログの管理人の能力では

一見して、歩と書かれた絵が薄く見え、
年号が、明和7年7月と入っているのは
見落とす。

 だが発掘報告者には、どうやら年号の方
だけ見えたらしい。以下の表題の発掘報告
書の267ページの右下に、年号の入った
だけの、スケッチが書かれている。
仙台市文化財調査報告書第360集、
沼向遺跡第4~34次調査第5分冊、
2010年3月、仙十台市教育委員会。
この木板で重要な点は、いうまでも無く、
将棋駒の”歩”が書いてあるのかどうかと
いう事ではなくて、他の共出土の遺物の、
成立年が推定できる、年号が書いてあると
いう点である。
 つまりは一番重要なものだけ見て、議論
を混乱させ無い≪賢い目≫を、この報告者
は持っているという事だ。そうだとすれば、

これはたいしたものだ。

沼向遺跡歩.gif

なお、沼向遺跡は、宮城県仙台市宮城野区
中野字沼向(他)に有るとの事である。
仙台城の東にあるようであり、報告書によ
るとその頃、”遠藤城”という、別の城が
あったそうである。
 言うまでも無く明和7年、西暦1770
年は、近世であり、江戸時代の将棋将軍、
徳川家治(第10代)の時代である。すな
わちこの遺物は、将棋将軍を記念した絵柄
のように、私には見える。
 消えていて日が見えないが、日付は正確
には7月7日であり、徳川家治好みの、
七国将棋とひっかけられているのかもしれ
ない。なお”詰将棋”で七と言う字の形に、
駒が並んだものが、徳川家治作として知ら
れる。この事から徳川家治が単に七国将棋
を知っていただけでは無く、自分のトレー
ドマークという程の認識をしていたらしい
事が、古文書とは別に推定できるように、
私は個人的には思っている。
 何れにしても、中世日本の将棋ゲームの
内容史を中心とした、本ブログの論題から
は少し外れるが。風流な遺物を発掘してみ
せたものだと担当者の腕に感心させられる。
(2021/03/20)

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