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長野県佐久穂町小山寺窪遺跡より中世五角形木片(長さん)

以下、比較的新しい発掘報告書に、無地
の将棋の駒形の木片が紹介されている例
である。場所は表題のように、
長野県南佐久郡佐久穂町小山寺窪遺跡で、
遺物の成立は中世、発掘年は2010年
で少し前である。
奈良文化財研究所発掘報告書データベー
ス全国遺跡報告総覧に登録され、pdf
ファイル名は下記である。
72616_1_奥日影遺跡小山寺窪遺跡上野月夜原遺跡満り久保遺跡馬越下遺跡.pdf
巻頭口絵にカラー写真があり、本文の第
109ページ付近に解説がある。
番号61-5と、ナンバリングされてい
るようである。たぶん中世に成立とみら
れるが、発掘時の状態が、はっきりしな
いらしい。

小山寺窪無地.gif

写真のように、五角形と言っても

一角が極狭く将棋駒だとすれば半分破片

である。報告書の109ページ付近に書
いてあるように、右下が少し欠けていて、
将棋の駒の半分強ではなくて

塔婆の切れ端のようにも見える。報告書
の見方がほぼ正しく、中世の頃のもの

だろう。他の根拠として、共出土してい
る番号61-6の棒状木片と木質が似て
いるが、

墨書で一箇所”山門”と記載されている

ようにも私には見える事実も挙げられる。
 中世の修験者信仰を連想させるので、
その時代のものかもしれない。なお、
同じく共出土の番号61-1~61-4
の木製品は、”布着せ人形”の頭部だと
言われているとの事である。
 この遺跡からは、平安時代の土器も多
数出土しているようである。しかしなが
ら、上記の特徴から、木片の成立は中世
に下るようであり、字の書いてない将棋
駒の破片だとしても、たまたまだが特に
問題は無かったようである。ただし無論、
鎌倉時代の

大将棋の駒だったとしたら、駒名が不明
なのはたいへん残念

だと感じられる。(2021/03/09)

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