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山形県八幡町沼田遺跡で部分枠付成兵墨書土器(長さん)

以下、奈良文化財研究所発掘報告書データベー
ス全国遺跡報告総覧に有る、かなり以前発行
の発行の山形県教育委員会の発掘報告書に、
部分的に五角形枠があり、その中に”成兵”
と記載されているように見える、9世紀成立
の墨書土器の紹介である。

本ブログの管理人が”貮六”の旨と書かれた
文字を誤読している

とみられる。
 全国遺跡報告総覧に登録されたpdfファ
イル名は下記である。
6273_2_沼田遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は以下の通り。
山形県埋蔵文化財調査報告書第78集
沼田遺跡発掘調査報告書、1984年、
山形県教育委員会。
 発掘された場所は
山形県飽海郡八幡町沼田遺跡で、本文74ペー
ジ付近に、墨書土器で

王と書かれた土器等が40枚ほど同時に出土

し、各々成立は9世紀と記載されている。
将棋の存在を示すとすれば、

通説の”11世紀初め”はあっけなく覆る。

 遺物は、pdfファイルの図版53、
包含層墨書土器(3)の右上に有り、
遺物番号第312番とナンバリングされてい
る。割れており墨書の左上部は残っていない。

山形沼田遺跡成兵.gif

第2字とみられる”兵”は六でも矛盾は無く、
”成”は左側が欠けていて、相当曖昧。
部分五角形枠に見える所は、底部がない事か
らみても、全部墨書では無く、ひび割れであ
る可能性がある。つまりかなり多数

ヨゴレが付いているようであり、元々の字の
他にその為の黒い点や線が見えるとみられる。

なお、発掘報告書には”墨書は有るが判読
不能”とある。

部分的右上にだけ、五角形模様が有り”成兵”
ではないかと見たのは本ブログの管理人だけ

である。
 そこで、更に発掘報告書を調べてみると。
一文字”王”墨書土器が、特異的にたくさん
出る場所であるだけではなくて、墨書きの有
る漆紙が、別の完品に近い土器に張り付いて
いて、紙が薄くて剥がせない遺物がそれより
も前の発掘で出土したと、図版29に写真で
紹介されていて、更には本文”前書き”に、
説明が有る。
 赤外線を使って透視画像を見た図版30に
対する本文の説明により、「”有”という字
が漆紙に書いてあるのを裏から見ている」と
発掘担当者は考えたようだ。が、この点につ
いて、本ブログの管理人は、

間違いである

と考える。
漆紙のオモテに書いてあるか、土器に書いて
あって透けて見えるのかの何れかで、

2(貮)と書いてあるのであり、元々の字を、
普通に見ているだけだというのが、本ブログ
の独自見解

である。しかも、図版30の上の写真から、
2(貮)の左に六と書いてあるのを、この
報告書で発掘担当者は、見落としていると私
は思う。ようするに。
漆紙に右から左に読むとして、”貮六”と書
いてある。そして次が重要だが、同じ字が

縦に、上記の土器破片の写真にも書いてある

と私は見ている。偶然、同じ字の書いた土器
が、2枚出土したと見るのである。だから、
前記の写真の文字は、2×6=12の意味の、
”貮六”であって本ブログの管理人の、

ぱっと見の”成兵”は誤読

であると考える。そしてこのケースは”貮六”
で良いと判断出来るのは、

王という字を分解すると、十と二になるから

であると私は考える。つまり、この遺跡で、
40枚程度出土したとして紹介されている、

”王”墨書土器の”貮六”は仲間なのであり、
中国から古代に伝来した掛け算九九の暗誦が、
古代に、中世時衆の”南無阿弥陀仏”と同様、
まじない効果があったという意味

と見るのである。つまり今回紹介した土器は、
将棋に因んだものではなくて、マジナイ用で
あると考えられる。
 恐らくだが”にろくじゅうに”と唱えなが
ら、一文字”王”土器を神棚にそなえるとい
うセレモニーが、9世紀の半ばに山形県では
行われたという、類の事なのではなかろうか。
 つまり、”王”、(誤読)”成兵”土器は、
”「はっく七十二、くく八十一」墨書木簡”
の類の、マジナイ用の9世紀出土遺物なので
はないかと、私は考えるのである。(2021/03/12)

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