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福岡県比恵遺跡で五角形兵墨書弥生時代土器出土(長さん)

以前、五角形駒形の中に桂馬と書かれた、
偶然の悪戯により古墳時代に将棋が有った
かのように見える土器を紹介した。今回は、
その類ではあるが前回と異なり、

五角形がしっかりしていて将棋駒として、
おかしくない、弥生時代成立の、”兵”と
駒名が入ったように見える土器

を紹介する。

兵の字が傾いており、兵という文字以外は、
自然に出来た偶然の悪戯と考えられる。

 場所は本ブログでは11世紀に、将棋が
伝来したと見る、福岡市の比恵遺跡である。
 発掘報告書が、いつものように、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録されている。その
pdfファイル名は以下の通りである。
20225_1_比恵遺跡群37.pdf
発掘報告書の名称は以下の通り。
福岡市埋蔵文化財調査報告書第832集
比恵遺跡37第82次調査報告、
2004年、福岡市教育委員会・
岡三リビック埋蔵文化財調査室。
遺跡の場所は、発掘報告書の奥付によると
博多区博多駅南6丁目9番7との事である。
 そこの62ページ、PL8(図版8)の
左上に、第043番とナンバリングされた
弥生土器とされるものが今回の話題の品で
ある。今度は画像を拡大しないと、駒名が
兵なのが、書いた位置が特殊な為に、よく
判らない。五角形駒枠の、先端に書いてあ
るのである。

比恵重駒.gif

 実はその上に、字が器に対して40°程
度傾いており見る際には、上図の”兵のガ
イド黄色文字”の、当方による書き込みに
合わせて、頭を傾けて見てほしい。第1画
目がやや薄く、発見しにくい。一度判れば、

比較的整った字で、兵と書かれているのが
明らかに、判るはずである。

発掘報告書に、墨書の指摘は発見できない。
なお遺物の説明は、発掘報告書の20ペー
ジ付近に有る。井戸跡(SE009)から
出土した、弥生時代後期の遺物との旨書か
れている。博多では既に”兵”という漢字
が、弥生持代の後期には知られていたので
あろう。何れにしても、この”兵が整って
いる字なので、

兵自体は、人工的に書かれた弥生時代後期
の墨書または刻書土器である

と本ブログでは見ている。それに加えて、
だふだぶの五角形の将棋駒の枠は、このケー
スでは、右辺が少し曲がっているが、比較
的将棋駒らしく、それらしい形に見える。
だからもし、

兵が将棋駒全体に対して、画像のように曲
がっていなかったら、大問題になるところ
だった

と本ブログでは見ている。
 以前、絵画としての五角形駒型のイビツ
さで、書いたか偶然出来たかの本物・ニセ
モノが区別出来るように書いたが、

間違いだった

ようだ。むしろ、今の所経験則だが、

駒字が曲がっている場合は、五角形枠は、
偶然に出来た模様

と、土器に関しては見た方が良いと、この
ケースから、思われるようになった。
 ところで、この遺物については、話がそ
れで、終わりにならない。更に”

おんぶバッタ”の如く、より小さい五角形
駒で、駒名が”王香”のように見えるもの
が、その上に乗っている

ように見えるのである。ただし、王も香も、
今度は兵のようには、はっきりとはしてい
ない。また、五角形の輪郭も、この小さな
駒は、底辺右側が今度ははっきりしない。

だから、小さな駒の将棋枠、王の字、香の
字はそれぞれ全部、偶然だ

と、今の所本ブログでは見る。
 このような、意味不明の絵画構図になっ
ている事からして、大きな駒の方の

兵の字以外は、全てニセモノの証拠

なのではないかと私は疑う。
 ”王香”と”横行”は音が同じなので、
弥生時代に平安大将棋が成立している証拠
をあたかも示しているかのように見えるが。

これら全てが、このケースは幻という、不
思議な実例が将棋伝来の地とみられる福岡
市で20年程度前に発見されたようである。

以上のように私は考えているのである。
(2021/03/27)

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