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将棋の遅い伝来説。漢字”国”と矛盾しないか(長さん)

漢字の国という字は本来は、國と書き、
”国”は俗字であるとされている。
(漢字の語源、山田勝美著、角川書店、
1976年)
この字は国がまえ”口”の中に玉が書
いてあり、将棋盤の中に玉将が置かれ
ているという姿を連想させる。従って、
この字の成立が10世期以前とすれば、
日本の将棋の遅い伝来の通説にとって
不利であると考える事も出来る。今回
は、この点を問題にする。つまり

①”国”は日本の将棋がモデルの、”
國”の俗字と考えてよいのかどうか。
②国の字の成立は平安時代に遡るのか

というのが、今回の論点である。結論
から書くと
①については本ブログではYes.と
考える。
②については、モンゴル帝国の来襲以
降であり、No.と考える。
 では、以下に説明する。
この字が、将棋から来るのは、国の他
の異字体、国構えに民や国構えに王の
存在から見て、

日本の将棋起源が自明なのではないか

と考える。俗字には色々な発生場所が
あるが、外国であるという証拠がある
とは、少なくとも”国”について、私
には考えられない。”圀”は八角駒
チャンギの韓国、”国”は玉を玉駒と
する日本なのではないか。
”圀”は、則天文字の一つだが・・。

少なくとも”国”については、日本の
使用が先で、外国は後なのではないか。

 そして恐らくだがモンゴル帝国来襲
の時の、亀山天皇の敵国降伏の国構え
に王と、起源が関連するのではないか
と、私は疑う。元々は或という音・意
の文字の外側に国構えを書いた、中国
流漢字作成法の典型が、わが国に伝わっ
た。が、”或”がワクだかコクだか、
訳がわからなくなっているうちに何処
か中国・韓国・日本の中で特定できな
いが、漫画のような、国構えに王を入
れた字が、先に発生したのであろう。
 しかし国構えに王が、国構えに玉に
代わるには、

やはり、玉将と王将共存の日本に於い
て、日本の将棋の存在が不可欠

なのではなかろうか。チェス型遊戯盤
を国構えに見立てたとすれば、その中
に王が有るのが国だとすれば、王の代
わりに玉を持ってきたのは、

日本の将棋の愛好者だと考えた方が、
中国人や韓国人作だと考えるよりは、
ずっと自然

だと、私は思う。よって①はYes.
が、かなりの確率で起こりうると私は
疑う。
 次に②だが、亀山天皇の王に国構え
が、やはり先なのではないか。つまり
元々は俗字である”国”の成立は、

鎌倉時代であって、平安時代末期には
まだ無い

のではないか。
 その証拠に、色葉字類抄(二巻物)、
尊経閣文庫蔵、八木書店、2000年
には、国という俗字は載っていない。

本文中では、國と書いてあるし、巻末
のいつ成立したか不明な”異字体注記”
部に”国”は、入っていない。

なお”異字体注記”については、本当
は何時の成立であるにせよ、加筆がバ
レないように書いてあると、私は解釈
する。
 つまり色葉字類抄の成立よりも、国
の字の成立の方が、明らかに後だと私
は思う。だから、象戯の字が記録され
ている色葉字類抄より後なら、成立時
期は鎌倉時代以降だし、それまでには
存在した、平安小将棋をイメージして、
国という俗字を作ったとしてもおかし
くない。
 以上の事から将棋が11世紀伝来と
しても国の字は13世紀頃成立だから、

将棋よりも俗字”国”の方が後という
事になり、”将棋の遅い伝来説”でも
元俗漢字”国”の存在とは矛盾しない。

以上のように、少ない情報であるのが
難点だが、今の所本ブログでは見てい
るのである。(2021/03/19)

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