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雲南省大理市から個々独立の宝仏塔出土(長さん)

以前述べたように、埼玉県美里町の
猪俣の百八燈の中心藁塚”五重塚”は、
同町出土の五色宝塔(南北朝時代・
小山若犬丸の乱の頃成立か?)と、概念
類似で関連性が疑われる。その後者

法事用財宝出土遺物

と、雲南省博物館のマトリョーシカ方式
五色宝塔は、名前が同じである事からも
判るように、遺品として

カテゴリーがいっしょの物品

であるという事であった。あくまで
本ブログの見解だが、これは平安大将棋
の将駒が、

玉将、金将、銀将、銅将、鉄将と5色で
あるのと関係する。

ずばり”鎌倉時代~南北朝時代の大将棋”
を、猪俣の百八燈の塚は、その数108
基で模しているという意味である。また、
これは、

日本の南北朝時代にはまだ、日本の将棋
が、大理国の上流階級王侯貴族の将棋の
輸入品であるという記憶が、日本の知識
人層の間では残っていた

と言う意味でもある。
 しかし、冒頭で述べたように、雲南省
博物館の五色宝塔はマトリョーシカ方式
であり、本来1塔な仏塔具が、5つに分
解可能という型式のものである。この点
で埼玉県児玉郡美里町広木上宿遺跡出土
の、五色宝塔(金、金銅、銀、銅、鉄)
とは形式が違う。
 だが最近、広木上宿遺跡のミニチュア
仏塔と同じ形式の出土遺物が、雲南省
大理市から発掘され、大理国時代成立と
みられて、雲南省博物館に展示されてい
る事が判った。web上以下のサイトに、
物品が公開されているようである。

https://www.sohu.com/a/438066214_772510

出土場所は”大理弘経寺塔”とある。

雲南宋代宝塔.gif

大理市の三塔は確か”崇聖寺三塔”と言
うはずであり、名前が違う。両者の関係
は、私には不明である。
 大きさは高さ10センチ足らずで、
埼玉県児玉郡美里町広木上宿遺跡出土の
五色宝塔とオーダーでいっしょの大きさ
である。4つだけ発見されており、金箔
が施されているというので、こちらも、
埼玉出土の五色宝塔より、現状の見かけ
はより劣るように見えるが、やはり元々
は、絢爛豪華な宝塔だったと判る。
 大理国は仏教が盛んで、また前に文献
で紹介したが、雲南テン国等の古代王朝
は、”支配層が古来より贅沢である”と、
漢王朝時代から見られていたようだ。そ
の為、五色宝仏塔が雲南の大理市の仏塔
で、発掘される事自体に不思議は無い。
 南北朝時代に日本の朝廷が、やや振る
わなくなって、土や木で仏像を造るのが
主流になった頃、その日本で藤原摂関時
代の如くの、金銀黄金貴族時代の唐物の
国内置き換え、つまり内製品のような
広木上宿遺跡五色宝塔が出土している事
の方が、当然だが謎と見るべきなのであ
ろう。成書の指摘の旨通り、

他に類例の無い、特別な遺物(たとえば、
ときの鎌倉公方がたまたま、特殊な事情
で、肝入りで作った物という事)である

等と見るのが、やはり常識から見て尤も
なのではないか。以上のように日本の対
応遺物についてだけ、依然私は疑いを持っ
て見ているのである。(2021/03/05)

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