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四条畷小学内遺跡で古墳時代”玉”将棋駒絵土器(長さん)

大阪府四条畷市の将棋遺物として、最古の
王将駒は有名だが、その発掘の7年程度後
の西暦1996年前後に、上清滝遺跡から
さほど離れていない、四条畷小学内遺跡で、
将棋絵が書かれていると疑われる古墳時代
の土器が出土しているとの紹介を以下する。

偶然出来たヨゴレ模様の疑いが濃い。

写真がweb上に公開されていて、以下の
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に掲載されている。
pdfファイル名は、下の通りである。
55695_1_四條畷小学校内遺跡・中野遺跡発掘調査概要報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
一般国道163号の拡幅工事に伴う発掘調査
四儀畷小学校内通跡・中野遺跡
発掘調査概要報告書、2000年3月、
四條畷市教育委員会
写真は、以下のところに掲載されている。
図版18/D地区第2遺構面出土遺物
遺物は第69番とナンバリングされている。

四条畷玉.gif

この遺物に対する説明が、本文の31ペー
ジ付近にあり、成立年代が古墳時代後期で
あるとの旨、記載されている。文字や絵が
描いてあるとの類の紹介は無い。
 さて上図を見ると、玉の字が五角形の枠
で囲われているように見える。これが本当
に、将棋駒の絵を描いたものであるとした
ならば、当然ながら

将棋伝来が11世紀初程度であるとする通
説をはるかに遡るだけでなくて、関西では、
興福寺以外で出土した事の無い、玉将の
上代初の出土

となる。
 しかしながら、

玉の字の最後の画を、駒の底面に傾けて
描いてあるように見える点がかなり不自然

である。また良く見ると、
玉の最後の画は、次の字と共有になってい
て、小さく第2字目が右下に”王”と描か
れている。そしてそれが、何か器の上に乗っ
ているようにも見える。以上のような、

意味不明の構図

になっている。さらには、駒の底面自体が、
小さな舟の類の上に、乗っているようにも
見え将棋駒の後ろの線が

厳密に言うと描かれていない。

また、玉の字の濃さも、マダラである。
 以上の事から、今の所この絵に見える土
器の柄部分は、人為的に描かれたものでは
無く、

全部、偶然に出来た自然の模様

であると、本ブログでは考える。
 すなわちこの例でも、

駒字が将棋駒本体に対して、曲がって書か
れてい無いかどうかは、本物とニセモノを
判定するのに重要である

という事を示しているように思える。それ
と共に、この例については、

将棋駒の絵の右下に、又将棋駒字が描かれ
ているという、構図の不自然さ等が、偶然
出来た自然の模様に過ぎない事を示唆

している。
以上のように言えると本ブログでは考える。
 四条畷市内では、発掘される将棋駒はや
はり、今の所は、平安時代のものからと見
て、恐らく間違いないのであろう。
(2021/03/31)

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