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岩手県北上市大橋遺跡で縄文晩期山奔墨書土器(長さん)

今回は、縄文土器に奉墨書のある例のうち、
字が比較的、明快に見えると本ブログの管理
人が認識する物品の一例である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
13075_1_大橋遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の本文ファイルは、データベー
ス上で、離れた場所に保管されている。頭の
番号を含めてpdfファイル名は以下の通り。
12703_1_大橋遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第481集
大橋遺跡発掘調査報告書、2006、
岩手県北上地方振興局農林部農村整備室・
(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は岩手県北上市和賀町横川目6地割40番地。
遺物が出土したのは、西暦2002年前後の
事のようである。
 発掘報告書の第124ページ付近の記載か
ら、遺物の成立年代は、遺物自体の形態から、
岩手県の縄文時代晩期とみられていると、
読取れる。西暦紀元前後のものなのであろう。
 遺物の写真は、冒頭pdfのうち上の方の、
写真図版発掘報告書の写真図版第94:
”台付鉢(5)772~780”の、上から
2段目右に有って遺物番号第776番との旨、
ナンバリングされている。鉢形の縄文土器の
ように、私には見える。

大橋遺跡山泰.gif

 上図のように写真で左下に縦に濃く”山奉”
とも読めるような、煤のような模様があり、
細かい縄文の上に、墨が乗るので、構わず書
いたように、私には見える。紀元前後に識字
層が山を奉じたと受け取れ、山を神格化した
有力者に、貢物をするときに、紀元前後に、
縄文土器を使用している地帯では、その器を
使用して良かった事を示しているように、思
われる。

有力者が帰化人であると仮にすれば、貢物を
よこすのが、弥生人でも縄文人でもどちらで
も良いと思うだろうから、当然このような、
墨書遺物が生じたと疑われる。

以上以前述べたように、本ブログの管理人は、
こうした遺物の存在から、今述べた帰化人の
早期、東北地方来日の事実の存在を、以前か
ら疑っているのである。(2022/07/18)

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