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北海道森町倉知川右岸遺跡で縄文後期奔王墨書土器(長さん)

本ブログでは、中国の前漢王朝に、鉱物資源
の採取の為に中国人が渡来し、北海道南部、
渡島半島以南の国内全域では、場合によって
は短期間にせよ、渡来人の混じった和人集落
が、存在したのであろうと見ている。
 今回は、渡島半島中央部の、茅部郡森町で、
縄文時代後期前半の土器とされている遺物に、
はっきりしないものの、漢王朝の皇帝への
貢物入れを意味する、漢字の「奉王」の墨書
に見える煤のような模様の有る遺物の出土例
について、ここでは紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
28394_2_森町倉知川右岸遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
北埋調報196森町倉知川右岸遺跡、
西暦2003年、財団法人北海道埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭の調査の概要によると、
遺跡の場所は、北海道茅部郡森町字栗ケ丘7、
11。遺物が出土したのは西暦2002年前
後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdfの第242ページ付近によると、遺物
土器の形が、第Ⅳ群A類であり、その形態か
ら、北海道の縄文時代後期前半成立とみられ
ている旨が書かれているように読取れる。
 遺物の写真は、第2写真図版pdfの、
写真図版第63の中段2段目左に在り、遺物
番号で土器の120番との旨のナンバリング
がある。花瓶のようにも私には見えるが、薄
く、特殊な縄文が有るとの旨の説明が有る。

森町奔王.gif

 上図のように右上の黒い煤模様が、奉だと
云われれば、そのように見え、その斜め左下
で、写真の中央下に、王のような模様が在り、

鉄鋼石が少量発見されたら、この器の中に
入れて、洛陽に送るつもりだった墨書土器

のようにも見える。縄文は特殊なようだし、
北海道出土の土器なので、縄文時代とはいえ
本州よりも時代は下り、紀元前2世紀頃の成
立ではないかと私見する。
 夫の横棒を一つ増やした墨書土器とされる
ものの仲間で、夫よりも奉に見える例なの
ではないかと、私は現時点でこの土器の煤の
ような模様を疑っている。(2022/07/05)

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