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長野県佐久市宮の前遺跡で古代?奔金墨書土器(長さん)

今回は、将棋駒名”奔王”が、奉王という単語
が見慣れていた為に、奔と奉との字の形の類似
性から発生したという本ブログの論とよく合致
する、”奔”と側面に書かれた、貢物の砂金を
入れる入れ物と見られる墨書土器の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている、発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
254_1_周防畑遺跡群若宮遺跡IV道常遺跡南近津遺跡III宮の前遺跡I.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第198集
周防畑遺跡群:若道遺跡Ⅳ・道常遺跡・南近津遺跡Ⅲ・
宮の前遺跡Ⅰ・Ⅱ、2012.10、佐久市・佐久市
教育委員会。
 発掘報告書に本文pdfが見当たらず、簡単
な前置きと、まとめの書かれた、スケッチ図集
とみられる、別のpdfファイルが存在する。
92_1_周防畑遺跡群若宮遺跡IV道常遺跡南近津遺跡III宮の前遺跡I.pdf
 遺跡の場所は、下のスケッチ図pdfの末尾
の抄録によると、佐久市長土呂1281-1付
近に5つの遺跡が固まって存在するようである。
同じく抄録によると、今回話題にする遺物は、
西暦2010年前後に発掘されたようである。
 遺物の成立年代は、本文pdfが見当たらな
いので良くわからないが、竪穴住居跡のうち、
古代、奈良・平安期に成立したものが多いとの
旨、記載されているようである。
 遺物の写真は、写真図版pdfの写真図版第
134:”宮の前遺跡Ⅰ・Ⅱ出土遺物(4)”
の、下から3段目右に在り、遺物番号で、
竪穴住居跡第11の第9番との旨ナンバリング
されている。蓋のように、私には見える。

宮の前奔金.gif

 上図のように、天地逆であるが、外側側面に、

奉と書くべき所に、奔と、はっきり書いてある

という点に、この遺物の大きな特徴がある。
 そして、蓋の取手面の底に、上図のように、
左上に金、右下にたぶん奉と書いてある。砂金
を置く器のように私には見える。貢物として、
奈良か京都に金粉を送るときに、器として一緒
に差し出すためのものであろう。字を間違えた
ので、使われなかったのかもしれないが。

奔は、明らかに奉の誤字であり、古代から奔と
奉とは、似ている漢字とみられていた証拠

と考えて良いだろうと私見する。これまでは、
この誤字認識説は本ブログの単なる仮説という
地位であったが。この遺物により、証拠が出始
めたと言えそうだと、本ブログの管理人は考え
る。(2022/07/24)

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