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長野県佐久市下原遺跡で弥生後期奔王子墨書土器(長さん)

今回は、弥生時代の奉王墨書の一種であるが3
文字であり、漢字で奉王子と書いて在るように
見える、長野県佐久市の遺跡の遺物の話題であ
る。以前、佐久市岩村田西一本柳遺跡で象太子
に見える甕型の土器について、酔象の成立年代
と関連して話題にした事が有ったが、

”子”に見える煤模様が有るという点で共通で
ある事に、注意すべき

とみられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
328_1_白山遺跡群下原遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第186集
白山遺跡群下原遺跡、2011.3、佐久市・
佐久市教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると、遺跡の場所
は、長野県佐久市三河田字下原・横和字下原。
遺物が出土したのは、西暦2009年前後のよ
うである。
 遺物の成立年代は、問題の遺物が竪穴住居跡
第9号より出土したが、この住居跡は西暦
2009年の調査で、弥生時代中・後期の住居
跡として、発掘されたとの旨の記載が、発掘
報告書の23ページおよび、それ以降に在る。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第27
の中段左の”H9号住居の遺物”の左端に在り、
竪穴住居跡第9号の第1番遺物との旨、ナンバ
リングされている。甕のような形の土器の割れ
欠けのように見える。

下原遺跡奔王子.gif

 上図のように、右上の大きな漢字で”王”の
ように見える文字と、その左の、部分的にしか
残っていないが、”奉”であると言われれば、
そのようにも見える煤模様が目立つ。これだと、
過去何回も紹介した、漢王朝の皇帝へ、鉄鋼石
を貢ぐ為の入れ物の類のようであるが、よく見
ると、土器の下部に

漢字で”子”のように見える模様が、もう一文
字あり、奉王子になる。

以前本ブログで、同じ佐久市岩村田の、
西一本柳遺跡の、太子甕型弥生墨書土器を紹介
した事が有る。が、それに類似の物品のように
も見える。
 何らかの理由で、佐久市付近の漢王朝期の、
中国帰化人は、鉄鋼石の貢相手が皇帝では無く、
皇帝の息子である事情が、存在するのかもしれ
ない。西一本柳遺跡の煤模様は、紹介した際に
偶然模様と見なしたが、象以外は本物の墨書の
疑いが、出てきたようである。(2022/07/12)

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