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長野県飯田市恒川遺跡群で9C山奉墨書土器(長さん)

今回は、発掘報告書ではなくて、上田市の信濃国の
国分寺跡の記念資料館の記念冊子の中に、長野県
飯田市の伊那郡衙跡とみられる遺跡から出土した
墨書土器の中に、漢字で山奉の墨書だが、富士山の
絵も書いてあるという、デザインの珍しい墨書遺物
が在るので紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
上田市立信濃国分寺資料館の記念事業時作成冊子の
中に載っている。その冊子は奈良文化財研究所の
発掘報告書データベース、全国遺跡報告総覧に
登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
8375_1_古代信濃の文字.pdf
 文献名は、以下の通り。
古代信濃の文字、上田市立信濃国分寺資料館、2007年。
 ここで話題にする遺物が発掘された遺跡は、
前記文献の26ページ付近のよると、南信地方の、
飯田市恒川遺跡群であり、墨書土器は薬師垣外
遺跡で、発掘されている旨が同じく文献の、
第22ページ付近に在る。伊那郡衙跡とみられる
地点らしい。遺物が出土したのは、西暦2005年
に発掘報告書が出ており、西暦2000年前後の
ことではないかとみられる。元文献は、以下との事
である。
恒川遺跡群-遺物編その1(古代。中世)、
飯田市教育委員会、2005。
 冒頭の記念出版冊子文献の第26ページによると、
ここで話題にする遺物の成立年代は、伊那郡衙跡が
機能していた9世紀の平安時代と、みられているよ
うである。
 遺物の写真は、冒頭pdf文献の第26ページの
右下に有り、釈文が書かれているが、嵐の虫部分が、
小に置き換わる、私には何んと読むのか、良くわか
らない字である。

恒川遺跡山泰.gif

 上図のように、第1字目は山、第2字目が奉で、
山の絵が第2字目の背景に書かれていると見ると、
判り易い。実質、山奉であろう。山は、富士山の
ようにも私には見え、飯田市から高台に登ると、
南アルプス連峰が見えることから、それらの山の、
信仰用の祭祀土器ではないかと私は疑う。
 なお、この記念冊子では、日本での漢字の成立
時期に関して冒頭総論で述べており、紀元後1世紀
の中国人の渡来時であろうと、本ブログと、ほぼ同
じ趣旨の結論を、西暦2007年段階で確立してい
る点が、たいへんに興味深い。出土遺物の模様を
見ている人間は何れも、ほぼ同じような認識だとい
う事だと考える。(2022/07/23)

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