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長野県南箕輪村久保上ノ平遺跡で弥生後期泰山奔馬墨書(長さん)

今回は長野県上伊那郡の遺跡で、奉山と奉馬
が両方書いてあるように見える弥生時代後期
成立の土器遺物の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
8423_1_久保上ノ平遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
久保上ノ平遺跡、1997、
長野県上伊那郡南箕輪村教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は、長野県上伊那郡南箕輪村1164-1。
遺物が出土したのは、西暦1995年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第111
ページ付近の記載によると、ここで話題とす
る遺物は、第4号住居址で出土したが、共出
土した遺物の形により、弥生時代後期成立と
考えられていると、記載されているように認
識する。西暦紀元頃ないし2世紀頃であり、
中国後漢王朝期ないし、その後の三国鼎立期
と取れる。なお遺跡自体は、縄文時代に栄え
たらしい。
 遺物の写真は、発掘報告書の図版第31の
最上段中央に有り、その写真図版の第2番と
の旨、ナンバリングされ、下部に第4号住居
址で出土と付記されている、私には甕のよう
な形に見える、土器である。

久保上ノ平奔馬.gif

 上図のように、左上に字にしては潰れてい
るが、漢字で馬と書かれているように見える
煤模様があり、目を移すと、右上に、上部が
大になり、下がキでは無くて、手になってし
まっているが、奉と言われれば、そのように
見える模様が在る。後者を第1字目と見れば、
右から左に奉馬と読める。なおwebに公開
された写真はかなり暗くなっており、上図は、
強い画像処理を掛けている。その結果、今述
べた奉の字の左に、少しそれより小さな、

別の奉の字が在り、その下に”山”という字
が浮かんで”奉山奉馬”と4文字墨書となる。

なお、発掘報告書に墨書の指摘は無い。
 伊那地方に、鉱山資源を捜索しに来た漢王
朝の中国人を祖先とする神主兼有力者が居て、
土地の人間が、神主の指示で中国人祖先の化
身である、伊那の山を奉じつつ、牧場が同地
に弥生時代後期に広がっていて、牧場主が馬
をその時期に、その神主兼実力者へ献上して
いる姿が、私には思い浮かぶ。
 これまで、奉山と奉馬墨書遺物は、どちら
も何回も、本ブログでは紹介してきたが。特
定の遺物に両方書いてあるので、原始的・道
教的山岳信仰と、民族間紛争に起因する兵器
馬の飼育が結びついた経済活動が、弥生末に、
本州以南の日本に存在することを、淡く匂わ
せる史料が現れているのではないかと、私に
疑わせるような発掘物が、確かに実存在する
ようだと思考する。(2022/07/17)

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