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愛知県瀬戸市上品野蟹川遺跡で9C王近墨書土器(長さん)

今回は、大大将棋に有る将棋駒名である近王
をひっくり返して王近とし、寺か方(カタ)
を第3字目として付けて3文字にしたような
漢字の墨書の有る、古代成立の遺物の紹介で
ある。

 施設の名称であるから将棋に関連しない。

なお、この遺跡の近傍の上品野西金地遺跡で、
戦国時代の「奉馬」墨書土器も、別の発掘
調査のおり、見つかっている。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
1795_1_上品野蟹川遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第142集
上品野蟹川遺跡、西暦2008年、
財団法人愛知県教育&スポーツ振興財団・
愛知県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は、愛知県瀬戸市上品野町。遺物が出土した
のは、西暦2000年前後の事のようである。
 ここで話題にする王近墨書土器の成立年代
は、発掘報告書の67ページ付近の記載によ
ると、9世紀前後のようであり、遅くとも、
平安末期に収まると読み取れるようである。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第11
の、拡大写真右側最下段に有り、遺物番号第
207番との旨ナンバリングされている。
 土器の裏側に漢字の墨書があり、釈文とし
て、発掘報告書で「遠方」と、解釈されてい
るように読み取れる。

上品野王近.gif

 上図を見ると、第1字目の「遠」の吉部分
は、口がはっきりせず、また土ではなくて王
である。よって本ブログの管理人は、王近と、
2文字ではないかと疑う。下の方は寺か発掘
報告書の読み通り「方」であろう。下の字は、
祭祀用でよく見かける書体だが、正確な意図
は私はまだ、解明されていない。方と解釈し
ても寺と解釈しても、土器を使用する場所を
示す、働きをしているだけのように私には思
える。よって

遠方では無くて王近寺か王近方と書いてある

のではないか。すると、大大将棋の駒名
「近王」に近くなるが、王近という名称の建
屋の中で使用する器、または、王近寺用とい
う意味であって、ゲーム駒名とは考えにくく、
日本の将棋とは直接的な関連性は、あまり無
いのではないかと疑われて来る。
 なお、西暦2010年の別の上品野地区で
の発掘で、上品野西金地遺跡という、蟹川遺
跡から東に数百メートル程度の地点で、下記
のような、戦国時代成立とされる奉馬墨書土
器も出土している。

上品野奔馬.gif

この遺物の載っているpdfファイル名は、
次の通り。
1754_1_上品野西金地遺跡.pdf
発掘報告書の第229ページに、写真が載っ
ている。
 古墳時代ではなくて、それよりずっと時代
が下った戦国時代のものであるとされている
らしいと、後に示した下の方の発掘報告書の
第43ページ付近から読み取れる。
 織田信長と古墳時代の有力者とで、愛知県
瀬戸市の下々にとっては、馬を奉じるという
点で、千年以上差が有っても、余り差が無い
と見られていたらしい点が、後者の史料につ
いては興味深い。最初の遺物は「奉」型
墨書土器でも無かったようだが。愛知県では
長い期間・時代を通して、奉墨書も書かれて
いた事が、後者からは判る。(2022/07/27)

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