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熊本県大津町ワクド石遺跡で縄文晩期桂馬墨書土器(長さん)

今回は、阿蘇山付近の熊本県の遺跡で、
縄文後~晩期の土器の破片とみられる土器
の破片に、漢字で「預馬(あずかりうま)」
と書かれている疑いのある出土遺物例の紹介
である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
15867_1_ワクド石遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
熊本県文化財調査報告第144集
ワクド石遺跡、1994、熊本県教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の
場所は、熊本県菊池郡大津町杉水字小林
小名東原。遺物が出土したのは、西暦
1992年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、写真図版の該当場所
に、縄文時代後期~晩期の土器で、太郎迫
式・八万田式との説明がある。熊本県での
出土であるから、西暦前10世紀ないし、
それ以前と、みなせる事になる。
 遺物の写真は、繰り返すと、写真図版第
49の下の方のカラム:”E調査区縄文
時代後期~晩期の土器(反転復原分)”の
”太郎迫式・三万田式”の、左上に在る。
遺物番号は、特に付与されてい無い。

ワクド石桂馬.gif
 
 上図のように、写真の遺物の左側に縦に、
漢字で、ぱっと見に桂馬と読んでしまいそ
うだが、よく見ると”頂馬”か、または

「預馬」と書かれているようにも見える、

黒い煤模様が在る。縄文時代の後~晩期に、
日本で漢字が、成立していたとすれば驚き
である。
 阿蘇山の台地であるから、鉱物資源は
この頃有ったはずで、仮に漢字自体の成立
が、弥生時代に鉱物資源を捜索する為に
渡来した、大陸からの帰化人によるもので
あるとすれば、土器の成立と時間差を作る
事によって、墨書の有る縄文時代の土器の
存在に関し、何とか説明は出来るのかもし
れない。すなわち大陸から、戦闘等に使用
する種馬を預かって、さらにそれを繁殖さ
せる為に連れて来たので、水桶に「預馬」
と書く事位はしたであろう。何れにしても、
九州では、漢字文化を持っている渡来人の
来訪が、相当に早かった事を示している、
遺物の一例である疑いが、この土器破片に
は有るのではないかと私見する。(2022/07/15)

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