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茨城県筑西市野殿深作東遺跡で4C奔王墨書土器(長さん)

今回は、いっけん古墳時代成立の奉王墨書土器
に見えるが、よく見ると奉ではなく摩。第2字
目も玉の意味であり、古墳時代にマガダマを取
り扱う者の中に、普通に漢字を使う、恐らくは
渡来人が、茨城県の比較的内陸部に居た事を示
唆するのではないかと疑える、出土遺物の紹介
である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
11161_1_野殿深作東遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
野殿深作遺跡、西暦1996年3月、
茨城県下館市(当時。現筑西市)教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言から、遺跡の場所は、
茨城県筑西市(当時:下館市)野殿字深作
1318番地。遺物が出土したのは、同じく
例言から西暦1994年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、出土遺物全体の傾向から、
古墳時代前期、4世紀の一時期に存在した遺跡
と解釈されているように、発掘報告書の第69
ページ付近の記載から読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第18:
”第5号住居跡出土遣物”の上から第4段目左
に在り、遺物番号は特に付いていないようであ
る。食器の小型ボール状の入れ物のように、私
には見える土器である。

野殿深作東奔王玉.gif

 上図のように、左下に漢字で王と読めるよう
に見える、かなりはっきりとした、黒い煤模様
が在り、その上の黒い部分を奉と無理に読みた
くなるが、このケースは奉では無いようである。
 よく見ると、

摩のように見えるし、第2字目は王だが、その
右側に、玉と書いてあって、研磨した玉やマガ
ダマを入れた容器

のように私には解釈される。古墳時代の前期に
茨城県の下館の地域に、恐らくだが帰化人が居
てマガダマを取り扱っていて、漢字で保管容器
にその旨書いたように見える。以上のような、
貴重な墨書遺物の疑いが、全く無いとは言い切
れないのではないかと、この土器に関して本ブ
ログの管理人は疑っている。(2022/07/19)

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