SSブログ

兵庫県神戸市上沢遺跡で4C玉奔墨書土器(長さん)

今回は、古墳時代初期とみられる出土土器に、
複数の「玉奉」と漢字で書かれているように
見える、遺物の紹介である。
 古墳時代初期に、宝石の玉という概念が、
中国から日本の兵庫県付近には、伝来してい
た疑いが有るようである。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
11310_2_上沢遺跡III第38・46・50次調査.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
上沢遺跡Ⅲ第38・46・50次調査、
2004、神戸市教育委員会。
発掘報告書の別に存在する第1本文pdf:
11310_1_上沢遺跡III第38・46・50次調査.pdf
の冒頭例言によると、遺跡の場所は
兵庫県神戸市兵庫区松本通4丁目。遺物が
出土したのは前記発掘報告書の第2pdf:
11310_2_上沢遺跡III第38・46・50次調査.pdf
末尾の抄録によると、第50次調査である
2002年前後の事のようである。50-1
次調査と50-2次調査は、同時期との事
である。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdfの58ページ付近に、第50-1次
調査の第2遺構面の包含層の出土遺物は、
その形態等から、弥生時代末から古墳時代
前期の4世紀程度と考えられているとの旨
が、記載されているようである。
 遺物の写真は、第2pdfの写真図版第
23:”第50-1次調査 遺物包含層
出土土器”の右下に在り、遺物番号第
188番との旨ナンバリングされた、繰り
返すと4世紀程度に成立した、甕型の土器
遺物である。

上沢玉奔.gif

上図のように、土器の右側と左側の互いに
ほぼ、対称的な位置に、縦に玉奉等と漢字
で書かれたような模様が見える。なお発掘
報告書の写真では、左側が陰になるため、
上図では、左右で違う画像処理をかけ、合
成している。それはともあれ。複数回書い
ているのは、単なる強調だとして、

土地の有力者に宝石を奉じたのかもしれず、
帰化人による書であろうか。玉の概念を、
4世紀に持つ人間が、神戸港の近辺に存在

したようである。玉奉であって奔王等では
無いから、

将棋とは無関係

であろう。中国から渡来した帰化人は大勢
神戸付近に居り、中国文化を伝来させてい
た証拠の一品なのではないかと、この遺物
を見て私は疑っている。(2002/03/01)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー