SSブログ

岡山県倉敷市横内北窯跡群1号遺跡で平安期奔王墨書(長さん)

今回は平瓶型の土器とされている平安時代
にかけての遺物に、漢字で奔王と書かれて
いるように見えるとの旨の紹介である。
いつものパターンとは違って、この件に限っ
ては、

奉王では無いようである。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
4621_1_横内北窯跡群1号下庄遺跡上東遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
横内北窯跡群1号・下庄遺跡・上東遺跡
 倉敷市埋蔵文化財発掘調査報告第12集、
2007.3、倉敷埋蔵文化財センター。
 遺物はこのうち最初の横内北窯跡群1号
の遺跡で出土したようである。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の
場所は岡山県倉敷市玉島陶(たましますえ)、
遺物が出土したのは、同じく抄録によると、
西暦1985年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の25ペー
ジ、まとめの記載から、奈良時代から平安
時代の、土器生産地跡のように読み取れる。
ここでは平安末期の12世紀前後と仮定し
て、以下議論する。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第4:
”横内北窯跡群1号出土遺物(2)”の、
左下に在り、遺物番号第102番とナンバ
リングされていて、私には急須か酒のおか
ん用の器物に見えるが、発掘報告書の説明
では、複数同類が出土していて、平瓶の類
として分類されるものであるとの事である。

構内北窯跡第1号奔王.gif

 上図のように、中央縦に、かなり大きく
漢字で奔王と読めるような、煤の跡模様が
ある。奔王であって、奉王等ではこのケー
スは無さそうである。

大将棋から来るのかもしれない。土器の

生産地で発掘された遺物であるとすれば、

土器に入れる物品の銘柄を示している

ようにも、現代的感覚からは思えてくる。
 つまり一例を示せば「奔王」という銘柄
の、地酒を入れる容器という意味である。
 本ブログの管理人には、この土器の提梁
と高台が、何のために付けられているのか
は良くわからない。何度見ても酒のおかん
の器具のように見えるのだが。何れにして
も大将棋へ奔王が、比較的早期に入った事
を示す遺品なのかもしれず、注意が必要な
遺跡だとの印象を持つようになった。
(2022/03/15)

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー