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長野県佐久市西近津遺跡で6C奔王墨書土器(長さん)

 今回は、古墳時代の後期6世紀には、
整った墨書で奉王と物品に書かれる事があ
った事実を示す遺物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
561_1_西近津遺跡群西近津遺跡VIII・
西近津遺跡群西近津遺跡IX.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
佐久市埋蔵文化財調査報告書第207集
西近津遺跡群西近津遺跡Ⅷ・西近津遺跡Ⅸ、
2013.3、茂木義秀・佐久市教育委員会。
 このうち話題にする遺物は、西近津遺跡
第Ⅸ次発掘で出土したとの事である。
 遺跡の場所は、発掘報告書巻末の抄録に
よると、長野県佐久市長登呂1764-1、
1764-15。遺物が出土したのは西暦
2011年前後の事のようである。なお、
第Ⅸ次発掘は、第Ⅷ次発掘の1年強後に
行われている。場所は何百メートルという
桁差で、接していないが近いようである。
 遺物の成立年代は、竪穴住居址第3号で
出土したが、共出土遺物の形状から、古墳
時代後半の6世紀と推定される旨が、発掘
報告書の第144ページに記載されている。
 遺物の写真は、発掘報告書の第151ペー
ジの写真図版:”H2・H3・H4号住居
址出土遺物”(番号は特に無い)の、第3
段目の右から2番目に在り、遺物番号は第
3号竪穴住居址の第6番”とナンバリング
され、甕の破片と一応見られているようで
ある。が余り詳しい説明は無い。

西近津奔王.gif

上図のように、奉の右上に煤ヨゴレが在る
が、比較的整った達筆な筆跡で「奉王」と
書かれているように見え、字がきれいだっ
た為か、甕を割った上で、文字の部分だけ
切り取って再使用したようにも見える。

古墳時代の終わりごろには、きちんとした
漢字を書ける人間が、長野県佐久市に居た
ことを示している

のではないかと私は疑っている。
 つまり漢字の伝来が、数世紀まで下ると
いう説は変だと、本ブログの管理人は、こ
の遺物を見ても明確に感じているという意
味である。その数百年前、漢王朝人の渡来
と同時に、漢字は日本に伝来しているので
は無いだろうか。(2022/03/20)

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