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広島県東広島市峠谷遺跡で弥生末奔猫墨書土器(長さん)

以前、東広島市の小越窯跡遺跡で古墳期成
立の奉馬墨書土器が出土した旨を紹介した。
遺跡は小越窯跡とは別だがその4~5キロ
東にある遺跡で、同時期に出土したため、
同じ発掘報告書で紹介が、今述のべた遺物
といっしょになされている。遺跡の名称は
東広島市の峠谷遺跡であり、奉馬より早い、
弥生時代末成立とされる壷のような形の土
器である。その土器に、奉猫ないし、奉横
等と漢字で書かれているように見える遺物
があるので今回はその紹介である。はっき
りしないのであるが、

奉が複数書いてあるだけ

かもしれない。
 遺物は同様にweb上に写真があり、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以前小越窯跡遺跡で
紹介した以下のものである。
25567_1_山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告1.pdf
発掘報告書の表題も以前紹介した物である。
山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)、
1983年、広島県教育委員会・財団法人
広島県埋蔵文化財調査センター。
 今度の遺物は、遺跡が発掘報告書内の
遺跡のうち、最も東にあるため、最初に
紹介されている峠谷遺跡(たおだに)遺跡
で出土した物である。
 遺跡の場所と遺物の出土時期は、発掘報
告書の冒頭第3ページの調査に至る経過の
中の、調査遺跡と時期の中の表によると、
広島県東広島市志和町大字太刀掛、出土し
たのは、西暦1981年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の13
ページ付近に、第1号竪穴住居跡でその土
器が出土したが、遺物の形から弥生時代後
期後半の成立とみなされているように読み
取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の、図版1-7:
”峠谷遺跡SB1出土遺物(2)”の2段
目右に在り遺物番号第6番とナンバリング
されている、甕や壷のような形に見える、
土器である。

山陽自動車道奔猫.gif

上図のように、中央に奉奉と2文字の大き
な字が見えるが、その字の下ではなくて、
その横に

もう一つやや小さく奉と書いてあって、そ
の下に、やや反時計回りに傾いて、猫か横
の漢字の字が、書いてあるようにも見える

という代物である。奔ではなくて奉だし、
横とすると意味は通らない。猫を祭ったの
かもしれないが、やや変わった墨書である。
 弥生時代後期後半では「猫」の漢字が伝
来するには、少し早すぎるようにも思える。
 そこで模様を注意深く見ると、猫なしい
横の字は、

かなり不明確であり、奉の字を複数書いた
と見ても、不自然さは無い

と結論される。
 よって本ブログでは今のところ、この墨
書土器には、弥生時代後期後半の習字等の
目的か。奉の字が4つか5つ程度書かれて
いるだけと、解釈する事としたい。(2022/03/07)

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