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青森県六ヶ所村大石平遺跡で縄文期王奔墨書土器(長さん)

従来より縄文時代が古墳期の前まで続いたと
本ブログ管理人が認識する青森県では、
西日本の弥生時代の青森縄文土器に、奉等の
漢字が書かれているケースが有るのではない
かと疑う。そこで今回は実際にその類の、黒
い模様の付いた縄文土器の例を紹介する。
すなわち、

山奉や王奉の字が大きく書かれている

ように見える遺物が、青森県の縄文時代に
出土しているようである。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に記載されている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
34001_1_大石平遺跡2.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
青森県埋蔵文化財調査報告書第97集
大石平遺跡Ⅱ、西暦1985年、
青森県教育委員会。
 発掘報告書によると遺跡の場所は、青森県
上北郡六ヶ所村大字尾駮字野附。遺物は西暦
1984年前後に行われた発掘調査で出土し
た模様である。
 発掘報告書249ページの記載から、成立
年代は縄文中期末(青森県)と推定されてい
るようである。
 遺物の写真は、前記pdfの写真図版
(PL.)第21:”7区出土土器(1)”
の第1段目右に在り、遺物に4Hと記載され
ている。甕のように見える大きな土器で、口
の下に半円形の、縄文土器系の模様が見える。

大石平奉.gif

 上図のように、中央やや右を中心として、
漢字で奉または奔と書かれた、大きな黒い模
様が見え、その右上に口か、山か王か、
または国か、はたまた太陽の絵のようなもの
が書かれているように見える。
 縄文土器といっても、青森県では西日本の
弥生時代なのではないかと、本ブログの管理
人は思う。1~3世紀の頃のものではないか。
すなわち奉納祭祀をするのに、奉の漢字を理
解するのは必須で、縄文土器継続使用地帯に
も、その類の漢字は伝わっていたのであろう。
 そして少なくとも本州では使用する土器が、
弥生土器か縄文土器文化なのかには、余り関
係なく、西日本の弥生時代には、王奉等と有
力者に献上する物品用の容器に、日本人が、
漢字を書いていたのではないかと疑う。
 王も国も山も小学一年漢字であるし、奉は
理解が必須なので、日本列島本州以南では、
3世紀までに、恐らくゆきわたっていたので
はなかろうか。当時の東北の蝦夷にも、勢力
範囲のヤマト王権との差等は有るにしても、
クニや王は、群雄割拠していたのではなかろ
うかということである。(2022/03/30)

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