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岡山県岡山市高塚遺跡で古墳時代後期奔銀墨書土器(長さん)


今回は類例を山梨県南アルプス市村前東遺跡
で既に紹介済みだが、岡山県の遺跡で、こち
らも古墳時代の、この例では終わり頃の土器
に、漢字の奉銀と書かれた墨書跡の在る遺物
の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
12395_1_高塚遺跡三手遺跡2.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書150
高塚遺跡・三手遺跡2、西暦2000年、
日本道路公団中国支社津山工事事務所・
岡山県教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の場
所は岡山県岡山市高塚、遺物が出土したのは、
西暦1989年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、高塚遺跡の角田調査区、
竪穴住居第176号にて出土したが、7世紀
前半の古墳時代後期と推定されている旨が、
発掘報告書の866ページ付近に記載されて
いる。
 遺物の写真は図版152:”角田調査区竪
穴住居出土遺物26”の第2段目中央に在り、
遺物番号第5097番とナンバリングされて
いる、甕状の土器である。

高塚遺跡奔銀.gif

 上図のように、遺物の写真で左側に縦に、
銀の字がやや不明解だが、奉銀と言われれば、
そのようにも読める、煤のような墨跡がある。
 奔銀ではなくて奉銀のようであり大和朝廷
等に、貴金属の類の献上を行った際の容器等
ではないかと疑われる。
 甕に銀を入れたとすれば、当時は現地で、
相当の量銀塊が取れたのかもしれない。字が
はっきりしないので、正確なところは少なく
とも私にはわからない。(2022/03/12)

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