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福岡県筑後市津島九反坪遺跡で4C歩兵墨書土器(長さん)

今回は、古墳時代早期の成立とみられる土器
に、漢字で歩兵と書いてあるように見える
模様のある遺物が、福岡県で出土していると
の旨の紹介である。

その頃北九州地方では、戦乱があったので、
軍が本来は、稲作地帯にすぎない場所に駐屯
していた

のではないかと疑われる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
1501_1_津島九反坪遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
筑後市文化財報告書第42集津島九反坪遺跡、
2002、筑後市教育委員会。
 遺跡の場所は、発掘報告書冒頭第1ページ
の調査に至る経過によると、福岡県筑後市津
島。今回話題とする遺物が出土したのは、
西暦2000年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書本文35
ページの、出土遺物の説明から、第130番
土抗で、問題の遺物は出土したが、この土抗
で出土した遺物は、その形から弥生時代から
古墳時代初頭の、3~4世紀頃成立ではない
かと判断されている旨が読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版(PL.)
12:”1.SD130出土遺物(2)”の、
下段左に在り、遺物番号でスケッチ図48番
の通し番号第97番とナンバリングされてい
る、甕のような形の土器である。

津島九反坪歩兵.gif

 上図のように、漢字で”止兵”と読めるよ
うな墨跡に見える煤模様が在るが、兵の字の
第1画が右上に伸びる、歩兵と書いたときに
特徴的な、2文字模様であって少の部分は、
カスレて消えただけのように見える。つまり、

歩兵と書いてある

ようである。4世紀に将棋が成立してしまっ
ては、通説と全然合わないが、歩兵の文字は、
将棋の4世紀の伝来を示しているのでは無く、
兵隊のうちで底辺を形成する集団を示す、

一般名称であろうとは一応は言える

のではないかと疑われる。何れにしても発掘
報告書には、遺跡は稲作の伝来地帯と、従来
認識されているだけのように書いてあるが、
弥生時代末の小国分立の時代に、付近に軍隊
が駐屯した歴史の有ったような場所なのかも
しれない。以上のように、一応疑った方が良
いように私見された。(2022/03/16)

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