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広島県東広島市小越窯跡遺跡で古代末奉棋馬墨書土器(長さん)

今回は、広島県東広島市の平安末の窯跡の
遺跡から、将棋の駒の献上を連想させる、
漢字で奉棋馬と書かれているような模様の
ある、土器の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
25567_1_山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告1.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
山陽自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)、
1983年、広島県教育委員会・財団法人
広島県埋蔵文化財調査センター。
 この発掘報告書には、5つの道路に沿っ
た遺跡の発掘報告が記載されているが、
問題の遺物は、このうち第3番目の遺跡、
小越窯跡遺跡で出土したようである。
 遺跡の場所と遺物の出土時期は、発掘報
告書の冒頭第3ページの調査に至る経過の
中の、調査遺跡と時期の中の表によると、
広島県東広島市志和町大字冠、出土したの
は、西暦1981年前後のようである。
 遺物の成立年代は、窯跡から出土した
遺物の様式から、古代末~中世草創期であ
ると見られる旨が、発掘報告書の第57ペー
ジ付近に、記載されているようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の図版3-8
小越窯跡灰原堆積土出土遺物(2)の第2
段目左に在り、遺物場号として第51番と
ナンバリングされている、土器の底の破片
のように見える遺物である。

山陽自動車道奔棋馬.gif

 上図のように、底面の写真の右側に、環
状に、漢字の3文字で、奉棋馬と書いてあ
るようにも見え、

平安末に将棋駒を献上したときの、付帯
器物を連想させる。

馬が比較的はっきり書いてあるが、将棋を
連想させる棋の字は、はっきりとはしない。
平安末とすれば、将棋は大将棋も将棋も
成立しており、盤駒献上が有ったとしても
一応問題が無い。しかしわざわざ、将棋具
の献上に関して墨書をする理由が、謎とい
えば謎である。
 そこで上図を良く見ると、文字は3文字
ではなくて、

馬の左上に、もう一つ奉の字が在る

ようである。よってよく見かける馬の献上
が、実際に行われたのであって、将棋とは
このケースについては無関係の疑いが、あ
るように思える。また下の部分が、欠けて
おり、

棋の字は騎かもしれないしいかにも不明解

である。仔細は判りづらいが、奉騎奉馬等
と書き、平家政権や鎌倉幕府へ馬を献上し
た事を、表しているのではないかと、今の
ところ私は考えている。(2020/03/03)

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