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島根県江津市古八幡付近遺跡で1C奔王墨書土器(長さん)

今回は、本ブログで日本に漢字が伝来した
直後としている、1世紀頃に成立したとさ
れる平行横縞線の入った杯土器の破片の
ように見える遺物に、漢字で奉王と書かれ
ているような模様のある例の紹介である。

平行横縞線を利用して、土着の日本人が、
奉王墨書を作成したようにも見える。

遺物の写真がweb上に紹介されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
2242_6_神主城跡・室崎商店裏遺跡・古八幡付近遺跡・横路古墓.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
神主城跡・室崎商店裏遺跡・古八幡付近遺跡・横路古墓、
2000.3、建設省浜田工事事務所・島根県教育委員会・
島根県埋蔵文化財調査センター。
 遺物はこのうち、古八幡付近遺跡で出土
したようである。
 発掘報告書の第7分冊:
2242_7_神主城跡・室崎商店裏遺跡・古八幡付近遺跡・横路古墓.pdf
末尾の抄録によると、遺跡の場所は、
島根県江津市敬川町。ここで話題にする
遺物が発掘されたのは、西暦1997年
前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdf:
2242_1_神主城跡・室崎商店裏遺跡・古八幡付近遺跡・横路古墓.pdf
の第83ページの記載から第2竪穴住居跡
から、話題にする遺物が発掘されたが、こ
の住居跡から出土する土器の形態から、
弥生時代中期後半から後期初頭の、遅くて
西洋紀元1世紀の成立であると、解釈され
ているように読み取れる。
 遺物の写真は、冒頭の第6pdfの写真
図版第138の下カラム:”竪穴住居2・
3・4、建物36出土遺物”の、下から2
段目の左から3番目に在り、遺物番号で、
第119スケッチ図の第11番との旨が、
ナンバリングされている。なお、第1本文
pdfの第251ページにスケッチ図
119は在り、遺物は古八幡付近遺跡の第
9区で出土している事が判る。
第1本文pdfの第86ページの遺物観察
表から、土器の脚の底辺部分の破片のよう
に私には認識される。

古八幡遺跡奔王.gif

上記図より脚部に平行に横縞が続いていて、

その一部に「傘の↑部」と「|」と縦に書
いて、横縞線を必要に応じて太くすると、
漢字の奉王になる

事が判る。漢字を伝来させた漢王朝人は、
普通に筆で奉王と書くのが習慣だっただろ
うから、意識したとは到底思えないが、

習った日本人は、土器に元々付いていた、
横縞模様を利用して、奉王文字土器を成立・
定着させた事を示唆するような遺物

に見える。そもそも、上記の土器片は、奉
の字が本当に在るのかどうかは曖昧だ。

紀元1世紀頃には、日本人にも「王」とい
う字は少なくとも書けた事を示している

だけなのかもしれない。漢字は古墳時代以
前に無かったという事は有りえず、アバウ
ト表現するとすれば、

小学一年生向け漢字が弥生時代に書かれた

というのが、本ブログ流の解釈である。
 漢王朝人に漢字の使い方に関してそのよ
うな癖が有るとはとても思えないが。横縞
平行凹凸の有る土器に、人||と模様を足
すと奉王に見えるという理由で、奉王とい
う墨書が、日本では選択的に多く書かれる
傾向が最初から存在したように、私には疑
われる。日本の場合朝廷に富が、並みのペー
スより速く集中したのは、元々の漢字の形
の持っていた偶然から来る、貢物入れマー
クの、作り易さも有ったのかもしれない。
(2022/03/21)

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