兵庫県姫路市今宿遺跡で古代角行墨書瓦(長さん)
今回は、成立年代のはっきりしない、膨大な量
出土した瓦出土遺物のひとつに、漢字で角行と
書かれているようにも見える物品の紹介である。
行の字が比較的明確であり、中世後期の寺での
書き込みが疑われる。仏教上の宗教的行の意味
であり、将棋の角行では無いのではないか
と疑われる。
遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
49558_1_今宿遺跡Ⅰ.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
兵庫県文化財調査報告第333冊
姫路市今宿遺跡、西暦2008年、兵庫県教育委員会。
発掘報告書末尾の抄録によると兵庫県姫路市
西今宿5丁目。遺物が出土したのは西暦
2003年前後の事のようである。
遺物の成立年代は周囲の寺の創建が飛鳥時代
と言われるものの、俗に出土した瓦の大群は、
近世・近代に他の場所から搬入した瓦にすぎな
いと云われる等、正体がはっきりとはしていな
いとの旨の記載が、発掘報告書の49ページ付
近の記載から読み取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版64:
”遺物”の第2段目にあり、遺物の番号として
第248番とナンバリングされている、瓦の、
欠けた破片である。漢字で字が書いてあるのは、
左側に記載された、たぶんだが瓦の内側である。
上図のように、左下に行の下の部分の模様が在
り、その上に、はっきりしないが角という字で
あると言われれば、そのようにも見える煤跡の
ような模様がある。
発掘報告書の主張する古代、また科学分析の
ところで紹介されている、飛鳥時代の遺物だと
すれば、12世紀末が角行・竪行・横行のペアー
の、阿弥陀経の隆盛による成立であるとする、
本ブログの説とは、全く合っていない。
そこで遺物の字を見ると、
角ではなくて宙のように見え、室町時代から
戦国時代にかけての当地の寺の禅問答で、
仏教的修行を行う時間の、過去から未来の永劫
さを議論している
ようにも見える。
よって角行と書いてあるとは限らないので将棋
とは繋がるとは断定できず
瓦は古代に作られたとしても、字は中世後期の
戦国時代の頃の成立なのではないかと、個人的
には疑われるように思える。
近代になり、仏教神道の行の概念が隆盛した
とは、本ブログの管理人には認識されないので、
この瓦が宗教施設の出であり、少なくとも近世・
近代搬入のものでは無いと主張する発掘報告書
の主張自体は、概ね支持出来るのではないか
と今のところ、私は考えている。(2022/03/04)
出土した瓦出土遺物のひとつに、漢字で角行と
書かれているようにも見える物品の紹介である。
行の字が比較的明確であり、中世後期の寺での
書き込みが疑われる。仏教上の宗教的行の意味
であり、将棋の角行では無いのではないか
と疑われる。
遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
49558_1_今宿遺跡Ⅰ.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
兵庫県文化財調査報告第333冊
姫路市今宿遺跡、西暦2008年、兵庫県教育委員会。
発掘報告書末尾の抄録によると兵庫県姫路市
西今宿5丁目。遺物が出土したのは西暦
2003年前後の事のようである。
遺物の成立年代は周囲の寺の創建が飛鳥時代
と言われるものの、俗に出土した瓦の大群は、
近世・近代に他の場所から搬入した瓦にすぎな
いと云われる等、正体がはっきりとはしていな
いとの旨の記載が、発掘報告書の49ページ付
近の記載から読み取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版64:
”遺物”の第2段目にあり、遺物の番号として
第248番とナンバリングされている、瓦の、
欠けた破片である。漢字で字が書いてあるのは、
左側に記載された、たぶんだが瓦の内側である。
上図のように、左下に行の下の部分の模様が在
り、その上に、はっきりしないが角という字で
あると言われれば、そのようにも見える煤跡の
ような模様がある。
発掘報告書の主張する古代、また科学分析の
ところで紹介されている、飛鳥時代の遺物だと
すれば、12世紀末が角行・竪行・横行のペアー
の、阿弥陀経の隆盛による成立であるとする、
本ブログの説とは、全く合っていない。
そこで遺物の字を見ると、
角ではなくて宙のように見え、室町時代から
戦国時代にかけての当地の寺の禅問答で、
仏教的修行を行う時間の、過去から未来の永劫
さを議論している
ようにも見える。
よって角行と書いてあるとは限らないので将棋
とは繋がるとは断定できず
瓦は古代に作られたとしても、字は中世後期の
戦国時代の頃の成立なのではないかと、個人的
には疑われるように思える。
近代になり、仏教神道の行の概念が隆盛した
とは、本ブログの管理人には認識されないので、
この瓦が宗教施設の出であり、少なくとも近世・
近代搬入のものでは無いと主張する発掘報告書
の主張自体は、概ね支持出来るのではないか
と今のところ、私は考えている。(2022/03/04)