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香川県多度津町奥白方中落遺跡で3C奔皇墨書土器(長さん)

香川県から遠いが、茨城県で10世紀に出土
する王将墨書土器を、本ブログでは平将門に
関連付けている。しかし将門は乱のときに、
新皇は名乗ったが、新王を名乗ったとの話は
無い。

皇と王の違いが有る

ということである。皇将墨書土器なら良いが、
王将墨書土器が茨城県で10世紀成立で出土
しても、本当に平将門と関連付けて良いのか
どうかという問題が、有るということである。
 しかしながら仮に皇と王は類似だと、弥生
後期から考えられているとみなせる証拠さえ
有れば、この問題は一応回避できると考えら
れる。今回は、奉王ではなくて奉皇と漢字で
書かれているように見える、弥生時代後期後
半、3世紀前後成立とみられる墨書遺物を見
出したので紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
10760_2_中東遺跡2奥白方中落遺跡奥白方南原遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
中東遺跡・奥白方中落遺跡・奥白方南原遺跡、
2008年2月、香川県教育委員会。
 話題にする遺物は、3箇所の遺跡のまん中
の奥白方中落遺跡で出土したようである。
 発掘報告書、第3図版(続)pdf:
10760_3_中東遺跡2奥白方中落遺跡奥白方南原遺跡.pdf
の末尾抄録によると、遺跡の場所は、香川県
仲多度郡多度津町奥白方、紹介遺物が出土し
たのは西暦2004年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdf:
10760_1_中東遺跡2奥白方中落遺跡奥白方南原遺跡.pdf
の、第80ページ付近によると、第2自然流
路(SR02)の土器集中地点Cで、紹介す
る問題の遺物は発掘されたが、ゴミ捨て場と
読み取れる、土器集中地点Cの成立年代は、
出土遺物群の形態から、弥生時代後期後半の、
3世紀頃に成立していると、発掘報告書では
見ているように読める。
 遺物の写真は、第2図版pdfの写真図版
64の上段に在り、遺物番号第316番と
ナンバリングされ、「SR02土器集中部C
出土遺物」と付記されている、甕型の土器と
みられるものである。

奥白方中落奔皇.gif

 上図のように、口の部分から下へ縦に、漢
字で「朱土奉皇」等と書かれ、底に近い部分
に皇の字が来ているように見える。奔王では
なくて奉皇であり、この弥生時代の漢字と疑
われる模様は、将棋には無関係であろう。
 土地の有力者に、朱色の鉱石粉末等を献上
するのにつかう、容器の壷なのであろうか。
漢字を書くところを見ると、書いたのは渡来
人なのかもしれないが。王と皇とは類似語で
あると意識していたように私には受け取れる。
その認識が、平安時代の10世紀頃には変化
したとは、考えにくいのではないかと、私は
今のところ疑っている。平将門が新王ではな
くて新皇だと記録されたのは、たまたまなの
では無いのだろうか。(2002/03/14)

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