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鳥取県琴浦町笠見第3遺跡で2C龍馬墨書土器(長さん)

今回は、鳥取県付近としては比較的早い、
漢字の龍馬墨書ではないかと疑われる遺物
の紹介である。

ただし、墨跡は、余り明確ではない。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
14282_6_笠見第3遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
鳥取県教育文化財団調査報告書86
 鳥取県東伯郡東伯町笠見第3遺跡、
西暦2004年、財団法人鳥取県教育文化財団・
国土交通省倉吉河川国道事務所。
 第5本文最終pdfの末尾の抄録によると、
遺跡の位置は、鳥取県東伯郡東伯町(当時)
笠見字東神楽平と田越字岩屋峯にまたがる場
所との事である。
 また、遺物が出土したのは、西暦2003
年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、第112竪穴住居跡
から出土したが、出土遺物から弥生時代後期
の初め頃、2世紀頃と取れる旨が発掘報告書
本文第2pdfの第151ページ付近に記載
されているようである。
 遺物の写真は、前記第6写真pdfの、
写真図版(PL.)105の中段カラム:
”2.竪穴住居跡(SI)112出土土器”
の右側にあり、土器(Po)第512番との
旨ナンバリングされていて、甕のようである。

笠見第三龍馬.gif

 上図のように、器上段の煤ヨゴレの2塊の
ような部分と、その少し上の部分の中間濃度
部分を辿ると、左から右に龍馬と言われれば、
そのような漢字のようにも見える暗い色の模
様が在るというものである。なお、上図の私
のつけた青い線の左側にも、縦に漢字で何か
書いてあるかもしれない。
 2世紀というと、今まで述べた例では、
九州北の福岡県や、関西大阪府付近以外では、
龍は絵で書いて、日本人が漢字では書け無かっ
た時代の、終わりの頃のように認識される。
 本ブログの解釈では日本人が書いた漢字の
龍馬として、最も早いものなのであろうと解
釈する。遺跡の場所が鳥取県の、比較的海端
に近いところなので、大陸から渡来人が流れ
着いていて、龍神信仰が早く成立し、俊馬を
龍馬と表現して、漢字で書く事も、早かった
のかもしれない。ただし字が薄いし発掘報告
書に墨書との指摘も特に無いので、偶然模様
に過ぎない可能性も、このケースは完全否定
は出来ないであろう。(2022/03/22)

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