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茨城県行方市八重橋遺跡で平安期王将木片(長さん)

今回は、茨城県で過去複数出土した、平安期の王将
墨書土器に関連するのではないかと連想される、
11世紀前後の、王将墨書のこんどは木片の紹介で
ある。宗教施設の建物の材料の一部のようである。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
11974_1_八重橋遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
茨城県行方郡玉造町八重橋遺跡発掘調査報告書、
2001年3月、玉造町遺跡調査会。
 発掘報告書冒頭の抄録によると、遺跡の場所は、
茨城県行方郡玉造町沖洲537番地(当時)。遺物
が発掘されたのは西暦2000年前後のようである。
 遺物の成立時期は発掘報告書の第20ページ付近
に、遺跡全体が9世紀から12世紀ないし近世のも
のも出土する複合遺跡であるとの旨が記載されてい
ると取れるが、遺物自体に対する説明は今のところ、
本ブログ管理人には発見できず、11世紀程度のも
のであろうとして以下に議論する。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版17:
”SD-1、100、SK-1、61、85”の
右下に在り、SK-85と付記された写真の一コマ
の右の方にある。なお発掘報告書の18ページ付近
に、堂宇の建物の木材の一部ではないかと取れる記
載が有る。

八重橋王将.gif

上図のように、王の字が縦長であるが、漢字で王将
と建物の柱等に書き込んだと取れるような、文字の
模様と疑われるものがある。
 王将は11世紀末成立本ブログは推定しているの
で、この文字は少し早く、茨城県付近で独特の墨書
と、本ブログで何回か紹介した、

平将門を奉るという関係の書き込み

ではないかと疑われる。
 土器だけでなく、堂宇の柱に書かれているので、
当時は茨城県では平将門は、神に近い存在として、
種々の祭祀や物品の献上の対象になった事が推定さ
れるように思われる。(2022/03/09)

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