SSブログ

鳥取県米子市大谷遺跡で弥生中期馬奔墨書土器(長さん)

今回は、成立が前漢王朝以前の紀元前とな
る弥生時代中期の鳥取県米子市大谷遺跡で、
馬の字がかなりくっきり見える、馬奉と土器
の破片に書かれている遺物の紹介である。
なお、奉を類似の字奔と置き換えた、馬奔
という将棋駒名は無いが、ひっくり返した、
奔馬という駒名が、江戸期成立の大局将棋の
駒に有る。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
14174_1_大谷遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
財団法人米子市教育文化事業団文化財
発掘調査報告書62鳥取県米子市大谷遺跡、
2011.3、米子市教育文化事業団。
 発掘報告書冒頭の例言によると、遺跡の
場所は、鳥取県米子市大谷(おおだに)町。
遺物が出土したのは西暦2007年前後の事
のようである。
 ここで問題とする遺物の成立年代は、遺物
が木器溜から出土したが、その土器溜の成立
年代が弥生中期の紀元前200年から紀元後
50年程度の間とみられるとの旨が、発掘報
告書の第31ページ付近に記載されている。

中国王朝で前漢時代の墨書の日本国内での出
土とみられ、龍は漢字と込みで伝来するといっ
た別関連事項も当然だと示唆

する、重要遺物とみなすべき物品だという事
である。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版23の
右上にあり、遺物番号で土器(Po.)46
番とナンバリングされている、土器の破片の
ように見える。

大谷遺跡馬奔.gif

 上図のように、馬の下方が幾らか消えて抜
けているが、

紀元前1世紀頃に馬は、その漢字と共に伝来
していた事を示唆しているほど、はっきり書
いてある

ように見える。第2字目は、かなり薄いが、
奉のように見え、更によく見ると、馬の左隣
にも奉と、更に書いてあるようにも見える。
 中国前漢王朝期の帰化人は、鳥取県米子市
付近にも、隠岐島付近の方から舟で渡来し
て住んでおり、弥生時代中期に既に、土地の
酋長等に、馬を納めるか、馬を祭るかのため、
飼い馬が用いていた土器等に、漢字で馬と書
いていたのではないかと疑われる、物品の実
存在を示すのではないかと私は考える。
(2022/03/08)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー