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静岡県浜松市宮竹野際遺跡で奈良期末龍馬墨書土器(長さん)

今回は「北」と発掘報告書が読んだとみられ
る墨書土器とされるものの中に、漢字で龍馬
と書かれているのではないかと疑われる遺物
が在るとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
91532_1_宮竹野際遺跡6次.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
宮竹野際遺跡(第6次発掘調査)、2012
年3月、(財)浜松市文化振興財団。
 冒頭例言によると遺跡の場所は静岡県
浜松市東区宮竹町。遺物が発掘されたのは、
西暦2010年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の墨書土器
の記載に関する、第73ページによると、
第1河川跡(SR01)から複数の墨書土器
が出土し、形から8世紀後半ないし9世紀初
頭の奈良時代末から平安時代初頭とみなされ
ているようである。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版(PL)
第27の2段目左に在り、第49号墨書と
書かれているが、発掘報告書73ページ付近
によると、遺物番号通し番号第451番と
同一物品のようである。

宮竹野際49龍馬.gif

 上図のように、左から右に2つの煤のよう
な塊が在り、左は全体として薄らとしている。
が、発掘報告書ではこの左側だけに墨跡が有
り、北かもしれないと読んでいる。他に北な
いし北家と書かれている墨書土器が出土して
いる為である。
 しかしながら、右にもひらがなで「せい」
と小さく書かれている濃い煤模様が見え、
薄い所を入れると、「せ」は馬の1・2・4・
5画目、いは馬の下の部分の4点のうちの、
左の2点のようにも見える。
 2文字目にも見える模様が家である可能性
は少なく、第1字目が北に間違いないという
根拠が、盤石でも無いように思える。龍だと
言われれば、そうであるかもしれないという
程度なのではないだろうか。
 たまたま馬が1頭居て、献上用であって、
龍馬と、駿馬の意味で表現されていたのかも
しれない。奈良時代になると浜松市でも馬が
しばしば飼われていて、朝廷献上馬が居ても、
絶対におかしいとまでは、言えないと思うの
だがどうであろうか。
 発掘報告書と比べてみると、本ブログの読
みと合致するケースが、残念ながら現状、か
なり少ないとの心証である。昔の出土遺物は
劣化が激しく、それだけ不確定性が大きいと
いう事なのかもしれないと、自分を慰める事
にしている。(2022/03/26)

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