SSブログ

岩手県水沢市石田遺跡から律令期奔王龍王龍馬墨書土器(長さん)

今回は、不鮮明ではあるが、右から左に向かって、
「奉王七度龍王龍馬」と漢字で書いてあるような
模様の有る、奈良・平安期の杯型出土土器の紹介
である。

後鳥羽上皇時代の大将棋の第3段目の本ブログ説
と、少なくとも矛盾していない。が、汚れが多い。

 遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
52739_5_東北縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告書XII.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
岩手県文化財調査報告書第61集東北縦貫自動車道関係
埋蔵文化財調査報告書(石田遺跡)、西暦1981年3月、
岩手県教育委員会・日本道路公団。
 発掘報告書の冒頭の例言によると遺跡の場所は、
岩手県水沢市寺領。遺物が出土したのは、西暦
1975年前後と、かなり前である。
 遺物の成立年代は、竪穴住居跡第Dg09
(旧期棟)で出土したが第4本文pdfの274
ページの記載から奈良平安期(歴史時代)の住居
跡からの遺物とみられているように読み取れる。
が、正確な成立年代が、特定されたように記載さ
れているようには読み取れない。ここでは、
平安末程度ではないかと見て、以下に論を進める。
 遺物の写真は、冒頭の第5写真図版pdfの、
写真図版79の3段目左に有り第144番とナン
バリングされている。が、本文pdfのスケッチ
図等との関係は、良くわからない。杯のような形
の土器である。

水沢石田奔王龍王龍馬.gif

 上図のように煤のヨゴレの中に埋もれている
感じであるが、目立つ模様としては

中央に龍王に見ればそのように見える模様が有り、
その左隣すぐに、馬に見える模様と、その上に、
無理に龍と読めば、そのように見える黒い模様が
ある。

 これだけだと単なる龍神信仰だが、右の方に目
を移すと、かなり右に寄ったところに、縦に細い
線があり、それを頼りに見ると、奉王や、

無理読みすれば奔王にも見える模様が在り、

さらにはその左隣に、緯度・経度の類を連想させ
る「七度」、又は「七呂」(路)等何か、奔王の
位置が七筋である事が表現されているかのように
も見える。
 余りにノイズが多いので、敢えて今のところ、
後鳥羽上皇時代大将棋の第3段配列の7筋・8筋・
9筋目の初期配列将棋駒名が書いてあるとは主張
しないが、

一応、矛盾する記載になって、い無いように見え
る事は確か

である。水沢市には古代柵が在ったと、以前
本ブログでも、岩手県水沢市中半入遺跡のところ
で紹介しており、この発掘で別途墨書遺物の紹介
は無いようだが、少なくとも遺跡近くに、識字層
が居した可能性は、否定できないのであろう。
(2022/03/29)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー