SSブログ

愛媛県松山市筋違K遺跡で近代奔王墨書御神徳利(長さん)

以前、本ブログで倉敷市横内北窯跡群1号遺跡
の平安期奔王酒瓶を紹介した。その際墨書は、
酒の品種と説明したが、

単なる御神徳利の類ではないか

と示唆する、近代明治以降の遺物が愛媛県で出
土している事が判ったので、比較例として報告
する。

中世前期に仏教では戒律に反する酒を、「神」
に奉じるのは不自然とは言え、前記2例は互い
に同類の疑いが否定できない

ように思われた。
 遺物の写真はweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
12265_2_福音寺地区の遺跡II.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
松山市文化財調査報告書67福音寺地区の遺跡Ⅱ
北久米浄蓮寺4・5・6次、筋違J・K、
西暦1998年、松山市教育委員会・財団法人
松山市生涯学習振興財団埋蔵文化財センター。
 遺物は3つの遺跡のうち、真ん中の、筋違K
遺跡で発掘されたようである。
 遺跡の場所は、発掘報告書本文pdf:
12265_1_福音寺地区の遺跡II.pdf
の75ページ「調査の経緯」によると、
愛媛県松山市福音寺町533-1、
遺物が発掘されたのは、同じく調査の経緯75
ページから、西暦1995年前後の事のようで
ある。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1分冊の
122ページの遺物観察表にリストされていて、
近代明治以降の遺物で、詳細省略となっている。
観察表には砥部焼と記載されている。
 遺物の写真は、第2pdfの写真図版36の、
下の数個の出土品写真の左から2番目に在り、
遺物番号第88番とナンバリングされている。
発掘報告書の前述遺物観察表によると、御神
徳利であろうと解釈されているようである。

福音寺遺跡奔王.gif

 足のところに王が入って、奉王と解釈すれ
ばそうなのかもしれないが、発掘報告書の読み
のように奉一文字と見る方が、自然であろう。
足の部分の王は、横に土器ろくろの筋が入って
いるので、写真に、そのように写ったにすぎな
い可能性が高そうである。何れにしても、

現代でも、どこかに在りそうな物品であり、
神棚に神酒を置くのに使用する器

と解釈される。この物品を見てから岡山県
倉敷市横内北窯跡群1号遺跡出土の奔王酒瓶と
紹介済みの遺物を再度見ると、平安時代と近代
とで、推定成立時代が大幅に違うが、類似品に
過ぎないのではないかとも疑われてくる。

倉敷市遺物は王が付いているとはいえ御酒徳利
かとしなかったのは、むしろ私のうかつだった
と反省

させられてきた。倉敷市遺物は第1字目が奔に
見えても大の部分が春の上部であるとは完全に
否定できない程度に薄いし、倉敷市遺物の奔の
下のサ部分が、絶対に有るのかと言えば、そこ
まではいかないようだ。
 神仏が分離されていない時代に、神に酒類を
奉じるという点が不自然だったため、本ブログ
の倉敷市奔王遺物説明では酒の銘柄の奔王解釈
を取ったが、正当性100%とまでは行かなかっ
た。私の身近に神酒の徳利瓶が、仮に実際有っ
たとしたら解釈が違っていた位、推論が甘かっ
たと反省させられた。倉敷市の遺物は、大将棋
とほぼ無関係な疑いもある。(2022/03/19)

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー