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島根県松江市池ノ奥窯跡群で飛鳥期奔馬墨書土器(長さん)

今回は、容器に見えたが、容器の蓋だった為
墨書が逆さに書いてあるように、本ブログの
管理人にだけ見え、人為的かどうかに関して、
当初疑問を抱かせた、飛鳥時代の島根県松江
の奉馬墨書土器の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
2504_4_松江東工業団地内発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
島根県松江市池ノ奥A遺跡・池ノ奥窯跡群、
1990年3月、松江市・松江市教育委員会。
 遺跡の場所と遺物の出土年代は、pdfが
12まであるのだが、今のところどこに記載
されているのか、本ブログの管理人は確認し
ていない。遺物が出土したのは西暦1980
年代頃だろうとは想定される。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の235ペー
ジ付近に、遺跡とその周囲は、6世紀末から
7世紀前半にかけての窯跡であり、遺物は、
北部調査区から発掘されたものの、窯跡近く
で発掘された遺物と、系統的差は無いようで
あるとのように読み取れる記載があり、
飛鳥時代成立とみても、この遺物については、
矛盾は少ないと、ここでは考える。
 遺物の写真は発掘報告書前記の第4pdf
の、第373ページのナンバーの無い
写真図版:”北部調査区出土遺物”の左の下
から2段目に在り、遺物番号で北-第193
番との旨、ナンバリングされていて、器を
伏せたような写真である。

松江工業団地奔馬.gif

 上図のように、遺物を伏せたように見える
状態で、遺物の写真の中央やや下、やや左
に縦に、奉馬と漢字で書いてあるような模様
がある。かなり淡い。

奔馬ではなくて奉馬のようであり、大局将棋
とは無関係で、馬を土地の有力者に飛鳥時代
に奉納したときに付帯させた器物

であると推定できるかもしれない。それにし
ても、字が逆さまなように見えたので、発掘
報告書を読み直すと、第2pdfの第274
ページの遺物の観察表に、杯の蓋と推定され
た旨が載っていた。
 蓋に奉馬の墨書例は少なかったと思うが、

それなら偶然模様の可能性は少ないだろう

と認識した。このような姿の器物は全国に、
多数出土し存在すると、既に私も気が付いて
いたが、蓋と発掘報告者に認識されている為、
伏せて撮影されていたケースが、良く有った
のに、ようやくだが私も気がついた。少数例、
器物逆さに書いた漢字の墨書の例を、過去こ
のブログで紹介した事が有ったかもしれない
が。中にはこのように器物の蓋であるという
事情のケースも有るようだ。(2022/03/02)

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