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栃木県宇都宮市北若松原遺跡で古墳期奔兵墨書土器(長さん)

今回は、将棋の駒の名前として有りそうだ
が実在し無い、漢字で奔兵と書かれている
ように見える墨書土器の紹介である。

奉寓等と書かれていて、古墳時代になると、
地域でまとめて権力者に、税や献上品を出す
システムになっていた事を表している

とみられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
71233_1_北若松原遺跡若松原南遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
宇都宮市埋蔵文化財調査報告書第105集、
北若松原遺跡・若松原南遺跡、西暦2019年12月、
(栃木県)宇都宮市教育委員会。
 遺物はこのうち最初の方の北若松版遺跡
で発掘されたようである。
 遺跡の場所は冒頭の「序」によると、
栃木県宇都宮市北若松原、遺物が出土したの
は、序論の次に記載の例言によると、西暦
1995年又は1997年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第90ペー
ジ付近の「おわりに」によると、5世紀末~
6世紀初の古墳時代中後期とみられているよ
うであり、塚山古墳群の造営に関連した者の
住居だったろうとの旨が、発掘報告書の92
ページ付近に記載されているようである。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版(PL)
14の上段右側に在り、遺物番号で第8号竪
穴住居跡出土第3番との旨が、ナンバリング
されている。甕の形をした土器である。

北若松原奔兵.gif

 上図のように、割れた部分に奉、その右下
の写真で中央に近い部分に、漢字で兵のよう
な模様があり、奉兵となるが、古墳の人夫が
住む街に、兵が居るというのも妙な話である。
 そこで模様を更によく見てみると、奉は、
これ以上明確に出来ない為、そうであると仮
にして、第2字目の兵は誤読であり、「寓」
の上の部分が見えているように理解されてく
る。兵の丘の中央に、+印が有るように見え
る為である。
 奉寓、あるいは仮に奔寓だとしても、それ
らは将棋駒名に無いから、古墳時代中後期成
立のこの遺物の模様は、将棋には関係は無い
だろう。このケース恐らくだが、

寓は寄(よせテ)と同義

だと私見する。
 地域でまとめて大量の物品を土地の権力者
に献上する際に「皆が出したので私も出しま
した」の意味で、当時は決まり句に近いつも
りで、こう書いたのではないだろうか。
 古墳時代も中期頃になると、次第に日本で
は権力が集中して、納税も、まとまって地域
単位に繰り返し、習慣的に行われるようになっ
たのであろう。以上のような日本の歴史が、
おぼろげながら浮かんでくる、遺物の出土な
のではないかと私には疑われた。(2022/03/18)

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