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香川県高松市空港跡地遺跡で14C行奔墨書土器(長さん)

今回は、中世の14世紀、南北朝時代成立
とされる器物土器に、寶行奉と記載されて
いる上に、その下に何らかのマークのように
見える模様のある、寄せなべ用調理具のよう
に、私には見える出土遺物の紹介である。
私見であるが、金比羅船にちなんだ、

17世紀以降の近世成立品の疑いがある

のではないかと、考えている。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
10512_4_空港跡地遺跡Ⅳ.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
空港跡地遺跡Ⅳ、2000.3、
香川県埋蔵文化財研究会。
 冒頭の例言によると遺跡の場所は香川県
高松市林町、遺物が出土したのは西暦
1993年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書本文第1
pdfの第200ページ付近の説明によると、
溝(SDf)49号で出土したが、溝48・
49号の出土遺物はともに、14世紀であ
るとほぼ取れる主張がされているように、
私には読み取れる。
 遺物の写真は、前記第4写真図版pdf
の、写真図版76の第1段目右に在り、
遺物番号第1309番とナンバリングされ
ている。発掘報告書第1pdf第208
ページ付近で、土師質土器足釜と説明され
ている。私には冒頭で述べたように、寄せ
鍋用調理器具のように見える。

空港跡地行奔.gif

 上図のように、左下の丸い白抜き模様が
目立つが、よく見ると、

その上に、白抜きで漢字が3字程度書いて
あるのではないかと、いっけんするとそう
疑える。

 第2字目が行のようでも竹のようでもあ
り不明解であり、第3字目が奉のようでも
ある。
 第1字目は判読かなり困難であるが、

宝の旧字の「寶」のようだと判る。

 なおその列の右上のいっけん、来のように
見える模様は、単なる割れ目である。
 そこで宝行奉では、何んなのか、解読困難
で行き詰まる。マイクロソフトのimeパッ
ドを駆使すると、下の部分は実は2文字では
なくて1文字であり、

篆と解釈出来て、装飾文字の宝物を意味する
と見られる、「寶篆」が白抜き文字の正体

と見られるようになる。webの中国語の記
載から、アロマテラピーの道具も連想される。
よって、この器物の外側に書いてある文字は、
将棋とは関係無いのであろうとアタリが付く。
 ちなみに、その下の丸の模様から、今述べ
た単語の意味は推定できないが、丸の中には
船の絵が描いてあって、帆に「更超(=極超)」
等の字が書いてあると読み取れてくる。あく
まで私見だが、この鍋は、

四国金比羅神社参拝イベントの記念品等であっ
て、丸の中の絵は、当時の大坂等を始発地と
する廻船が高速である事を、帆の更超の文字
等で示している

のではないだろうか。恐らく廻船は、風向き
が良いと、唄にあるように、かなりスピード
が出たのであろう。ところで金比羅船は17
世紀に下って成立しているので、発掘報告書
の、この遺物に関する成立の南北朝時代との
推定とは合わないように思う。
 近世に参拝記念鍋が四国金比羅神社の近傍
で製作されていて、高松市の空港跡地遺跡溝
第49号の中に、たまたま落ちていた可能性
は無いのだろうかと、私はこの出土遺物に関
しては疑っている。(2022/03/28)

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